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フリートーク:映画の光と闇

映画の光と闇

2007/07/03 by 未登録ユーザ ika

現実の世界はモノからできていますが、映画は光と闇からできています。

あなたの映画の光と闇とは……

 

  • Re: 映画の光と闇

    2007/07/05 by こわれもの

    > あなたの映画の光と闇とは……

    闇は勿論モノリスです‥最近の作品ではキサラギは完全に闇です。
    以前にBURST CITYにて闇の中の光と表現されたのを思いだしました。

    光は輝ける俳優達です‥私的には香川さん、松雪さん、樹木さん、…

    邦画の復活も嬉しい光です。では

  • Re: 映画の光と闇

    2007/07/06 by 未登録ユーザika

    ゆきやん様

    返信ありがとうございます。
    お名前、似てるなあ……と思いましたが、ゆきやさんでしたか。ごぶさたです。

    モノリス……暗黒の宇宙空間よりもさらに濃い、漆黒の闇……光さえもすべてとりこんで、封印してしまう、究極の黒……ですね。
    「玄のまた玄、衆妙の門」
    モノリスは、また、すべてを産み出す門でもあるのでしょう……

    キサラギは未見ですが、たしかに暗く、重そう……
    「爆裂都市」は静かな闇でしたが……
    「狂い咲き……」は、午前11時の美術室のやわらかな光……でした(私にとって)。

    俳優さんが光……なるほどです。
    俳優さんには命があるから、スクリーンの白よりも輝く……生きてるというのは、すごいことです。
    (一応自分も、まだ生きている……)

    私にとって、闇の映画は……
    ということで、まず思い浮かぶのは、「ブレードランナー」です。
    これは……主人公の心と環境(街)が相互作用によって、ほどよい闇の中に留め置かれたままの宙ぶらりんの……湿ったマッチに火をつけようと、静かにもがいているような印象の作品でした。(だから、濃い闇ではない)

    バットマンやスパイダーマン(3未見ですが)など、ダークヒーローといわれる方々は、なぜ、あれほどに闇を大事にするのでしょう……

    光を感じさせる作品としては……まず浮かぶのは、最近の「300」。
    あれは、ものすごく「光」を意識して撮っていると思います。
    さらに、少し前の「サンシャイン2057」は、もろに「光」と「闇」のお話でしたね。

    アニメだと、「となりのトトロ」の、夏の陽の暮れていく残照……肌の汗が、風になぶられて少し冷えていく感触までもが見事に描き出されていた……「日本の山河の光」をあれほど秀逸に描ける人は、実写でも珍しいと思う。

    まだまだ、いろいろありそうに思います。

  • Re: 映画の光と闇

    2007/07/07 by 夢寝由来

    > あなたの映画の光と闇とは……
    “光と影”より厳しい様々な解釈が出来る奥が深いスレですね。
    私は“好きと嫌い”に変換しました。
    詳細はプロフィールを参照。
    但し“闇”を全て闇から闇に葬り去るのは如何な物か?と思う事もしばしばあります。
    映画は総合芸術だから否定不可能な物が含まれています。たまには採点圏外=“闇”を語りましょう。
    「タイタニック」(1997)
    過剰宣伝に閉口し、主演男優が闇だが、
    下記2点は光です。
    @キャシー・ベイツ演じる周囲からは疎んじられてるお人よしおばさんの存在。
    A楽師たちが最後まで演奏するシーン。
    他に「ティファニーで朝食を」「ゴッドファーザー」のように主題歌のみ光と思う作品も多い。

  • Re: 映画の光と闇

    2007/07/07 by 未登録ユーザika

    夢寝由来様、はじめまして。
    返信、ありがとうございます。

    「“光と影”より厳しい様々な解釈が出来る奥が深いスレですね。」
    うーん、奥が深い返信……
    私にとっては、映画館は、「光と闇」の場所なので……
    映画を、もっとも原初的要素に還元していくと……私にとって、それは「光」と「闇」と「音」になるのです。
    どんなに筋のわからない映画でも、難しい作品でも……最低限、この3つは楽しめると思っております。
    あとは、そこに少しずつプラスができれば……

    「映画は総合芸術だから否定不可能な物が含まれています。」
    たしかに、そのとおりだと思います。とくに、「否定不可能な物」という点には、うなずけることが多々あります。
    エンドロールを「著作権者一覧」と考えるとき、これほど複雑な「芸術」はないと思います。

    「タイタニック」は、私は映画館で見る気にならなかったので、ビデオで見ましたが、思っていたより良かったので、ちょっと意外というか、やっぱり先入観はよくないな……と思いました。
    「光と闇」に還元してしまったとき……暗い海に静かに映りこむタイタニック号の窓の光が、とても印象的で、あそこは絵的に美しかったと思います。
    なにか、ドラマ部分よりも、沈んでいくときの特撮シーンよりも……あの静かな状景が、しっくりと心に残っています。

    そういう意味では……自分にとって、一つでも「光」が感じられた作品は、やっぱり見てよかったなと思いますね。

  • 映画そのものでしたか?

    2007/07/08 by 夢寝由来

    映画館は、「光と闇」の場所なので……
    映画を、もっとも原初的要素に還元していと……私にとって、それは「光」と「闇」と「音」になるのです。

    という解釈なら闇こそ重要に思えます。
    フィルムでもネガが鮮明でなければ良いポジはできません。
    代表的な闇シーン「七人の侍」の夜襲、「隠し砦の三悪人」の二人の百姓と侍の出会い、「用心棒」の三十郎が六人のヤクザを全員叩き斬る等々白黒画面では魅力が倍増しです。
    人間の体裁を捨てた本性がむき出しになるのが闇かも知れません。

  • Re: 映画の光と闇

    2007/07/08 by 未登録ユーザika

    夢寝由来様

    再びのレス、ありがとうございます。
    おっしゃるように、「映画そのもの」ということなのかもしれません。

    映画の「光」と「闇」について、私が考えていたことを、もうちょっと詳しく説明さてください。

    私は、亀脳なので、展開の早いお話は苦手です。
    カリブの海賊さんたちのお話しなんか、1話目の途中でストーリーを見失いまして……そうなりますと、もうあとは個々のシーンを楽しむしかありません。
    しかし、個々のシーンも、やっぱりストーリーに裏打ちされているから、どうも意味がわからない……
    というふうに、映画から「意味」がどんどん抜けていきますと……極端な話、結局最後に残るのは、「光」と「闇」と「音」なのかな……と感じた次第です。

    こういう感じ方は、特殊なのかもしれませんが、私が年とってぼけて、今よりもさらに「意味」がわからなくなってしまったら、もうそこしか残らないんじゃないか……と思うのです。

    でも、考えてみると、こうやって最後まで残るものというのは、なにかベースにあるものといいますか、今、ふつうに映画を見て、ストーリーもわかって楽しんでいるときにも、常に底流にあって、私たちが「映画を見る」ということを、基礎で支えてくれていることのように思うのです。

    これに対して、現実は……たとえ私がぼけたとしても、「光」、「闇」、「音」ではすまない気がします。
    それは、もろに「お腹が減った」という感覚であり、また「痛み」であり、さまざまな「欲望」でありと……
    だからこそ、 「光」、「闇」、「音」になってしまう映画の世界は、ある意味、楽しいのかなあ……と、そんな感覚でした。

    フィルムをスクリーンに映写する映画の場合、光は加算混合になりますから、強くすれば原理的にはどこまでも強くなりますが、闇の方は、おそらく一定値でとまるでしょう。
    そういう意味からすると、おっしゃるように「闇こそ重要」なのでしょうし、また、闇の表現の方が難しいのかもしれません(これは、DVDをモニタで見る場合にもいえることと思います)
    モノクローム画像は、すべてを光と闇の階調で現しますから、そういう意味ではとても難しいのかもしれませんね。

    しかし、色がない分、おっしゃるように、「闇の表現」に精神的なものを担わせるには、モノクロームの方が向いているのかもしれない……
    「ゴジラ」なんかでも、カラーになると特撮のちゃっちいところなんかが気になるけれど、モノクロのゴジラは、なんか「闇を背負った」ような迫力がありますもんね。

    絵画なんかの場合は、映画とちがって減算混合になるので、「黒」の表現には、また別の難しさがあるようですが……

    とりとめのない返信ですみません。
    思いつくままに……

  • 白黒もカラーも共に闇は重要

    2007/07/08 by 夢寝由来

    >モノクローム画像は、すべてを光と闇の階調で現しますから、色がない分、「闇の表現」に精神的なものを担わせるには、モノクロームの方が向いているのかもしれない……
    モノクロのゴジラは、なんか「闇を背負った」ような迫力がありますもんね。

    なるほど鋭い解釈ですね。
    白黒画像は「七人の侍」ですが、アクションだけでなく黒い床に散乱した白く光った米つぶを一つづつ拾うシーンにも“丹精込めて作った米”だから野武士にとられてたまるか!という説得力があります。
    誤解の無いように弁明しますが私は白黒支持派=カラー否定派ではありません。鮮明なテクニカラー西部劇「リオ・ブラボー」「エル・ドラド」を作ったハワード・ホークス監督は“夜のシーンの方が昼のシーンよりずっとドラマチックだ、観客は見たい物だけが印象に残る”とコメントしてます。私も同感です。

  • Re: 映画の光と闇

    2007/07/09 by 未登録ユーザika

    「白黒支持派=カラー否定派」……私は、誤解してはおりません。おっしゃることは、とてもよくわかります。「白黒もカラーも、共に闇は重要……」そのとおりであると思います。

     写真や映画ですと、モノクロームは、表現技法のひとつとしてとても重要な役割を果たしており、製作にあたって、カラーでいくか、モノクロームでいくか……あるいは部分的にモノクロームにして、その部分に意味を持たせるか……という選択があります(最近見た作品では、『メメント』なんか、そうでした)。

     でも、同じ視覚に訴える表現方法でも、絵画なんかですと、版画や現代美術の一部を除いては、モノクロームの表現は、基本的にエスキス扱いです。
     この差は、どこにあるのだろう……と考えてしまいます。

     さらに、これは技術的なことになるのかなと思いますが、モノクロームもカラーも共通して、階調を光の部分に合わせるのか、闇の部分に合わせるのか……ということで、表現結果はだいぶ変わってくるようにも思います。

     技術面のことはよく知りませんので、この点は、どなたか詳しい方におうかがいできればと思うのですけれど、暗い部分の階調を細かく見せる場合と、明るい部分の階調を細かく見せる場合と……撮影上、こういうことは、かなり意識的に操作可能なのでしょうか?

     写真ですと、単純に絞りを絞れば光量が減って、暗い部分はつぶれ気味になり、明るい部分のディティールが詳しく見えてきますし、絞りを開けばその逆になりますが(被写界深度が変わるという問題も出てくるけれども)……映画の撮影時も、やはりこういう調整なのか、あるいはもっと別の手段が使われているのか……どうなのでしょうか?

  • カメラマンの功績もお忘れなく

    2007/07/10 by 夢寝由来

    ikaさんのこだわりは相当なのもですね。

    階調を光の部分に合わせるのか、闇の部分に合わせるのか……

    「教授と美女」(1941年/白黒)でゲーリー・クーパーが部屋に入ってバーバラ・スタンウィックに話す時にスタンウィックの両目が輝いていたシーン、ハワード・ホークス監督がカメラマンのグレッグ・トーランドに相談した際トーランドは“彼女の顔を黒く塗ればいい”という回答だった。名場面の功績を全部監督の手柄にしてしまう風潮があるがこれは大間違いだと思います。

    ホークスはカラー映画になってからも「リオ・ブラボー」(1959年)「ハタリ!」(1962年)はラッセル・ラーラン、そして「エル・ドラド」(1966年)は引退していたハロルド・ロッソンをカムバックさせたほどカメラマンの選択にこだわってました。最盛期のヒッチコックはロバート・バークスに撮影を任せていたし、黒澤明も「用心棒」(1961年/白黒:東宝=黒沢プロ)の時の大映専属だった宮川一夫を五社協定と闘ってまで指名したそうです。

    オードリー・ヘプバーンの人気を支えたのも巨匠監督や豪華な相手役男優陣或いはジバンシーの衣装ばかりではありません。フランツ・F・プラナーやチャールズ・B・ラングJr.といった名カメラマンです。

    少し話が脱線しましたが昔のカメラマンたちは監督の意図を理解して“光と闇”を巧みに使い分ける人が多かったと思えるのです。
    最近のカメラマンにも優秀な方がいるのでしょうが、撮影機材が軽量コンパクト化されフィルターよりもCG技術の充実、フィルムの解像度の向上や今までの撮影技術データの集積があるから手作りの努力の結晶という感動はあまり感じられません。

  • カメラマンの功績と言えば、 ネタバレ

    2007/07/11 by HJ

    「用心棒」と言えば、卯之助が死んでいくところで、
    仲代さんの上半身を影の中に、下半身を日向に置いた演出が印象的でした。
    たしかここで卯之助が「目が見えねえ・・・」なんて言ってたような。
    これはイーストウッドが「父親たちの星条旗」のあるシーンでオマージュを捧げてました。
    イーストウッドは黒澤さんに対して「今の自分があるのは用心棒のおかげです」と謝辞を述べたという話。
    「羅生門」で鏡を使ってまで森の中に光を取り込んだという宮川さんの撮影は見事だったし、
    発火性の高かったフィルムなのに、太陽にまともにレンズを向けたのも宮川さんが最初かも。
    後処理ではなく撮影時に撮影したフィルムを巻き戻し、
    次の場面をフェードインしながらディゾルブさせたなんて話も聞きました。
    失敗したら最後、なんともリスクの大きな仕事をしたものです。
    「ゴッド・ファーザー」ではゴードン・ウィリスがマーロン・ブランドの目を見せない撮影を見せてくれました。
    トップからのライトを強調したもので、大スターの目を見せないライティングなどありえなかった当時、関係者はヒヤヒヤもので見守ったそうです。
    ロジャー・ディーキンスも「バーバー」のモノクロ撮影では撮影賞候補になりましたね。
    モノクロの撮影はカラー撮影よりも難しいということで、如何に黒を出せるかということらしいです。
    完全な白から完全な黒までどれくらいの諧調を表現出来るかにかかるそうですが、
    人間の目が何色見分けられるのかわかりません。
    ところが無意識のうちに人間はそんな色の諧調の深さに刺激されて見てしまうのかも知れません。
    驚いたことに「バーバー」はカラーで撮影されたものでした。
    結局ポストプロで何でも可能になってしまうのですね。
    「セブン」のDVD化に際しても、カラー修復からあげくはフレームのトリミングまで変えてしまっていて、
    撮影監督や技術者の仕事はなんだったのかと思いますが。
    日本でもハイビジョンでの撮影を可能にする為に、カメラメーカーと一緒に開発をしたカメラマンがいます。
    おかげでハイビジョンカメラで手軽に映画を撮ることが出来るようになったものの、
    テレビ出身者がテレビの延長のような映画を作ることに走ってしまったようです。
    あげくプリントにもコストをかけないいい加減なものが多くて、
    大スクリーンでビデオの走査線なんか見せられた日にはがっかりです。
    お客に映画を見せているという認識が違うのかな。
    それでもこれで邦画の収益が洋画の収益を上回ったということで複雑なものです。

  • Re: 映画の光と闇

    2007/07/11 by 未登録ユーザika

    夢寝由来さん、HJさん、
    お二人とも、詳しいですね……
    私は、この方面のことは殆ど知りませんので、興味深く読ませていただきました。ありがとうございました。

    「彼女の顔を黒く塗ればいい」……これは、すごい発想ですね。まさにてづくり……今なら、コンピュータでやってしまうところなのでしょうが……。

    「ikaさんのこだわりは相当なのもですね。」……いや、べつにこだわっているわけではないのですが、以前、油絵やアクリル画を描いていたことがありまして、その際に、絵具の「混色すると明度が落ちる」という現象に困ったことがありますので……それで、加算混合と減算混合の話になったりしました。

    アニメなんかですと、描くときは絵具でセル画あるいは背景画なんでしょうが(だから減算混合)、映写時は透過光なので加算混合になります。このあたりは、なにかコツというか、専門家にしかわからないノウハウみたいなものがあるのでしょうかね。
    映画でも、マットアートなんかで同じようなことになると思いますが……(マットアートのなんとなく不自然な感じも、もしかしたらこんなことが関係している……?)

    「発火性の高かったフィルムなのに、太陽にまともにレンズを向けたのも宮川さんが最初かも。」
    ということは、当時のフィルムは、太陽を撮ると発火する危険があった……ということでしょうか?

    「後処理ではなく撮影時に撮影したフィルムを巻き戻し、次の場面をフェードインしながらディゾルブさせた」
    ものすごいことをやるものですね……よっぽど自信があったんでしょうか……?ただ、この場合、もろに加算混合になるから、暗転ではなく明転(こんな言葉があるのかな?)になりますね。

    「モノクロの撮影はカラー撮影よりも難しいということで、如何に黒を出せるかということらしいです」
    そうなんですか?!私は、逆かと思っていましたが……

    「完全な白から完全な黒までどれくらいの諧調を表現出来るかにかかるそうですが」
    この点は、結局映写時の条件にもよるのではないでしょうか。映画館内が充分に暗くならないと、黒の方の階調は良くわからないことになるでしょうし……劇場内では、本編の映写が始まると、非常口の標識灯も消えてしまうようですが、これは問題にならないのかな?劇場内の「暗さ」については、なにか基準があるのでしょうか?

    お二人のお話をうかがっておりますと、心なしか「光と闇」の表現にかんして、昔の名作が多いような気がします。
    今はもう<撮影時が勝負>ではない時代なので、かえって「光と闇」の表現をとことん考えた名作は生まれにくい(後処理でどうとでもできるから)ということなのでしょうか……

    昔と今の差で思うことは……昔の映画では、夜のシーンでも、これはどう見ても昼間に、カメラにフィルタかなんかをかけて撮影したな……と思わざるをえないものがけっこう多いような気がするのですが。
    昔は、ホントの夜の暗さの中で撮影するというのは、技術的に無理だったのでしょうか(フィルム感度の問題なんかで?)、それともまた別の理由があるんでしょうか……

    いずれにせよ、技術の進歩は、表現の問題に決定的な影響を持ってしまうようですね……

  • テクニカラーvsモノクローム

    2007/07/11 by 夢寝由来

    1940年の話です。
    当時ハリウッド最高人気を誇ったゲーリー・クーパーは2本の西部劇に主演しました。

    @「西部の男」ウィリアム・ワイラー監督/グレッグ・トーランド撮影(白黒100分)南北戦争後のテキサスで牧畜業者に味方し入植農民を苛め抜く元南軍将校の悪徳判事ロイ・ビーン(ウォルター・ブレナン)とアウトロー・コール(クーパー)の友情と対決をユーモアを交えて描く秀作で、ロイ・ビーンは闇の世界の主、コールは光の世界の自由人という対比が生きている。特にラストの決闘で勝ったクーパーが瀕死のブレナンを判事の永年の憧れだった舞台女優リリーに面談させるシーンでリリーの姿はブレナン視線で撮られている。ブレナンが少年の様な顔で“お会いできてよかった”と語り、微笑んだ女神のようなリリーに紗がかかった状態から周囲が真っ黒になって消える。悪党が死の間際に改心して天国に旅たった事を暗示している。

    A「北西騎馬警官隊」セシル・B・デミル監督、ビクター・ミルナー&デューク・グリーン撮影
    (カラー125分)1885年カナダを舞台に騎馬警官隊、インディアン(先住民族)、混血反乱軍の三つ巴の戦いに武器密売商人、テキサス警備隊員ダスティ・リバース(クーパー)がからむ理屈ぬきの誘拐娯楽大作。騎馬警官隊設立100周年記念作でもありデミルとクーパーにとって初の三原色法テクニカラー映画でもあった。当時のテクニカラーカメラは3本のネガフィルムを同時に撮影する1台500kgの大型カメラだった。
    何故この題材をデミルが選んだのか?おそらくネガつまり光の三原色である赤=騎馬警官の制服、青=空と湖、緑=樹木の葉と好条件が全て揃っていたからではないか?!当初クーパーは騎馬警官隊隊長役を依頼されたが、赤い制服に自分の個性が埋没する事を嫌がった為にデミルが苦肉の策としてテキサス警備隊員を脚本家つけ加えさせたという。クーパーの主演がヒットの絶対条件とは申せスターのワガママ恐るべし!但し評価は巨費を投じた空虚なデミル映画で片付けられた。唯一の注目はヒロイン(マデリーン・キャロル)と結ばれるのがクーパーではなく遥かに格下の脇役で騎馬警官隊長(プレストン・フォスター)だった事つまり当時の常識を覆した展開だった事でしょう。しかしクーパーのフラれ役が非常に珍しい事を考慮しても決して闇にはなっていない。クーパーに惨めな表情は微塵もないから。デミル映画は常に光しか見せないから客をたくさん呼んでも評価が低いのかも知れない。

    クーパーの帽子に注目すると前者の帽子は黒=闇つまり悪党と簡単に友人になれる性分でコール自身もチョイワルだった過去を暗示している。
    後者の帽子は白=光でリバースは完全な善人である証の様に思える。これは其々の衣装担当のお手柄でしょう。

    アメリカ公開時の興行成績は「北西…」の圧勝(トップ10入り)だったそうだ。
    クオリティの高い白黒映画より大味でも眩しい総天然色映画を観客は喜んだと言う事です。

  • Re: 映画の光と闇 ネタバレ

    2007/07/12 by HJ

    フィルムは一部でも火がついたら、あっというまに燃えてしまいます。
    「ニューシネマ・パラダイス」でアルフレードが事故を起こしたシーンもけっして大げさなものではないのです。
    宮川さんは太陽とカメラの間に木の枝や葉っぱを入れ込んでいて、
    太陽だけが直接画面に入るようには撮ってませんね。
    もっとも強い日差しや木漏れ日を表現するにはこういった画作りをするのは当然のことですが。
    上映に際しては製作者が作ったものを忠実に再現して見せてくれる劇場などおそらく皆無でしょう。
    撮影監督の木村大作さんは自分の作品がどういう環境で上映されているのか調べる為に時々劇場に脚を運ぶそうです。
    それで明らかに映写ランプやらレンズやらの手入れの悪いものを見つけては、
    映写室に入ってせっせとレンズやランプを磨いたなんて話です。
    苦労して作ったものが劇場側の手抜きで質を落としたものになっていてはやりきれないでしょう。
    新宿スカラ座と新宿プラザは同じ作品をかけることが多いようですが、
    プラザはスクリーンが大きいだけにスカラ座に比べて明らかに輝度が落ちてます。
    フィルムを写したことがある人ならわかるでしょうが、小さなスクリーンほど綺麗に写るものです。
    劇場によっては映写ランプの寿命を延ばす為にわざと電圧を落として上映している劇場もあったと聞いてます。
    さすがに今はこんなことはしてないでしょうね。
    ランプの電圧を落とした映写機で製作者が意図したものが忠実に再現出来るわけもなく、
    スクリーンにかけられるマスクも酷いところでは字幕が切れそうな劇場もありました。
    フォーカスがボケたまま写してたり、ましてビデオ撮影したものは引きのサイズでは人物の表情さえ見えなくなってしまいます。
    これは音響に対しても言えることで、字幕に頼らない日本映画では俳優の声をクリアに聞き取ることが絶対条件です。
    古い映画館の中にはまともに台詞が聞き取れないところもありました。
    さらに何かを食べる音があちこちから聞こえて来ては映画を楽しむどころではなくなりますね。
    ようするに観客が料金をペイしただけのものを求めていないから見過ごされて来たこともあるのでしょう。
    僕は劇場で音が出る食べ物を売る精神が納得出来ない性質なのですが、
    映画は効果音も大事だし、まして音楽が主役になるシーンでポップコーンなんか食べる音が聞こえたりしたら映画が台無しです。

    それから<撮影時が勝負>でない時代という考えですが、
    これは映像や音に関して後処理で修復出来るものについては当てはめることが出来ます。
    でも俳優の演技に関しては後処理で修復するのは不可能です。
    生身の俳優の演技こそ<撮影時が勝負>です。
    監督に求められる才能ってのは俳優の旬の芝居をフィルムに焼きつけることで、
    何を勘違いしているのか何度も何度も同じ芝居を繰り返させる監督もいます。
    もっとも俳優が表現出来ていなければ仕方がないことなのですが、
    リハーサルが一番良かったなんてことはしょっちゅうあります。
    だから欧米ではリハーサルから撮影することは珍しくないようです。

    それから昼間なのに夜間のシーンを撮ってしまうこと。
    「ツブシ」なんて言います。
    ヨーロッパのように白夜のある国では、カメラ前にブルーの紗幕をかけて擬似ナイトにしてしまう撮影はよくやることです。
    トリュフォーの「アメリカの夜」でこれが説明されてますね。
    チャン・イーモウの「単騎、千里を走る」でもツブシで撮影された擬似ナイトがありました。
    中国のあんな僻地に大量のライトや電源車を持っていったらコストや時間がかかり過ぎてしまって撮影が終わりませんからね。
    この映画の日本側の撮影を担当したのが木村大作さんでしたが、
    木村さんは中国の擬似ナイトのラッシュを見て、これは使い物にならないと判断し、
    イーモウに許可を得てデジタルで修復したそうです。
    直射光の当たった部分など、よく見ていると昼間に撮影したのがわかりますよ。
    戦時中の黒澤さんの映画ではナイトロケが出来ない環境にあったようです。
    フィルムの感度が悪かったことと、必要な光量を当てられるライトが足りなかったということです。
    まして黒澤さんの映画はパンフォーカスで撮る為に、俳優のカツラから煙が出るほどの光量を必要としたのですから。
    技術の進歩は、それを使う製作者の技量に左右されるでしょう。
    安易に技術に頼ってしまったものは手作りの暖かさを見出せないこともありますから。
    デジタル技術のない頃に頭角を現した監督はすぐれたアイデアを持っていました。
    ロバート・ゼメキスなんかはアイデアの宝庫のような頭を持っていると思いますよ。

  • Re: 映画の光と闇

    2007/07/12 by 未登録ユーザika

    夢寝由来さん、HJさん、
    またまた、詳しいお話をありがとうございました。

    夢寝由来さんの挙げられた2本は、残念ながら私は未見ですので、なんとも申せませんが、同じ俳優が同じころにモノクロームとカラーの2本に出演したというエピソードは面白いです。

    「当時のテクニカラーカメラは3本のネガフィルムを同時に撮影する1台500kgの大型カメラだった。」
    要するに、光の3原色を、別個に撮影した……ということでしょうか?
    そうすると、映写時にも3台の映写機を同調させて回したということですか?
    それとも、映写時には1本のフィルムにしたのか……
    いずれにしてもものすごい話ですね……

    「デミル映画は常に光しか見せないから」
    映画というものは、こうあるべきという絶対的な確信のようなものをお持ちだったのでしょうね。
    観客が、安心して見られる……ということを考えたのでしょうか。
    彼にとっては、闇は、みっともない恥ずべきもので、お客さんに見せるようなものではない!という考えだったのか……

    「クオリティの高い白黒映画より大味でも眩しい総天然色映画を観客は喜んだ」
    これは、直感的にわかります。こどもの頃に「パリは燃えているか」を見に行きましたが、この映画がモノクロームであることを知らなかったので、ずいぶんがっかりした覚えがあります……

    「フィルムは一部でも火がついたら、あっというまに燃えてしまいます。」
    ということは、セルロイド製だった……?
    とすると、フィルム倉庫は火薬庫のようなものですね。オソロシイ……
    今のフィルムは、なんでできているのでしょうか?

    「宮川さんは太陽とカメラの間に木の枝や葉っぱを入れ込んでいて、
    太陽だけが直接画面に入るようには撮ってませんね。」
    思い返してみると、たしかにそうです。私は、表現上のことなのかと思っていましたが……それとは別に、物理的条件もあったのですね。

    「プラザはスクリーンが大きいだけにスカラ座に比べて明らかに輝度が落ちてます。」
    私は、両劇場は知りませんが、私の記憶でも、やたら暗いスクリーンはありました。
    でも、昔名古屋にあった「中日シネラマ劇場」のスクリーンはやたらに大きかったが、これは「暗い」と感じたことはありませんでした。
    むしろ、小さな劇場のスクリーンでも、暗いな……と思ったところはありました(特に周辺部が)。
    これは、おっしゃるように電圧を落として上映していたんでしょうか……
    (そうだとしたら、映画館側の良心を疑いますが……館側は、どこでも、お客さんには最高の状態で見てほしいと思うものだとばかり思っていたので)

    「フォーカスがボケたまま写してたり」
    これもときたまありました。途中で映写がストップしてしまうことも……
    今では絶対に見られない?……現象ですね。

    「古い映画館の中にはまともに台詞が聞き取れないところもありました。」
    これもありました。聞き取れないのは自分だけかなと思っておりましたが……やっぱりそうだったんですね。

    「何かを食べる音」
    これは、昔も今も最悪ですね。映画館の売店では、せいぜい飲み物くらいだけにしてほしいです。
    まあ、楽しい映画や子供向け映画なんかでしたらいいと思いますが……

    「俳優の演技に関しては後処理で修復するのは不可能」
    これに関しては、CG技術がさらに進むと、できるようになってしまうかもしれないという気もします。
    最近見た映画では、「スキャナ・ダークリー」は、1回実写で撮ったものをわざわざアニメに置き換えていました。
    なぜそんなことをするのか……の必然性はいまいちわかりませんでしたが、あそこまでやると、もう「後処理」も自由自在ですね……
    こういうことがいいのか悪いのかはわかりませんが、将来、それに見合った作品内容を持つものも、生まれてくるような気はします。(「スキャナ・ダークリー」では、必ずしも内容にあっていたとは、私は思いませんでしたが。あの内容なら、むしろきちんと実写で見たかったとも思います)

    「欧米ではリハーサルから撮影することは珍しくない」
    日本では、リハーサルからの撮影は一般的ではないということでしょうか。
    だとしたら、それはやっぱり制作費の差の問題なのかな?

    「ツブシ」という言葉が、ちゃんとあるのですね。

    「直射光の当たった部分など、よく見ていると昼間に撮影したのがわかりますよ。」
    私は、このあたりの不自然さがすごく気になったのですが……でも、今では、なんか「映画の夜」という感じで、ちょっと風流にさえ感じます。
    それだけ、夜は夜に撮る、という映画が増えてきたのでしょうか。

    「まして黒澤さんの映画はパンフォーカスで撮る為に、俳優のカツラから煙が出るほどの光量を必要としたのですから。」
    写真なんかですと、被写界深度を出すためには光量を絞ると思いますが、映画のカメラの場合には逆になるのでしょうか?

    …………
    「光と闇」ということで、これほど豊かな返信が頂けるとは、正直思っていませんでした。
    「光と闇」は、精神的な側面から、表現技術上の問題、撮影時や上映時の技術的問題、劇場の設計、さらには観客の側の意識など……どこにでも現われて、いろいろと考えさせる要素をたくさん含んでいると思います。
    広く、いろいろご意見をお聞かせいただければと思います。
    (必ずしも専門的なことでなく、直感的なご意見も……)

  • オット、音を忘れてないか?

    2007/07/14 by 夢寝由来

    光の3原色を、別個に撮影した……ということでしょうか?
    そうです。ネガ3本同時撮影の大型カメラです。
    映写時には1本のフィルムにしたのか……
    3本ネガを1本のポジに焼きつけました。映写時は1本です。
    1950年代ワイドスクリーン時代には旧式の大型テクニカラーが規格に合わなくなり1本のイーストマンカラーのポジをテクニカラーのポジに焼き付ける方式に改良されました。

    ここらで音について、
    やはり1940年です。ウォルト・ディズニー・プロは世界初のステレオ音響映画「ファンタジア」を製作しました。製作費288万ドルは当時破格でした。因みに「カサブランカ」(1942)の製作費は95万ドルでした。第二次世界大戦で世界市場を失うリスクを承知での英断です。当然ヒットはおろか製作費回収もおぼつかなくディズニー・プロは倒産寸前の危機に追い込まれました。1台10万ドル要するスピーカー取り付けに映画館が難色を示したからです。
    ステレオ音響は誰か他の映画人がやったかも知れない、しかし、破産覚悟で常に“光と音”で観客を楽しませる事だけを考え一番先に実行した人物がディズニーだった事はやはり特筆物です。
    テレビの無かったラジオだけの時代、ディズニーは「白雪姫」(1937)でも観客の記憶に残るのは映像よりも繰り返し聞ける音楽である事を重視し、名曲『ハイホー』等を取り入れてます。
    「ファンタジア」の13年後ワイドスクリーン時代で改めてステレオ音響は見直され今日ではドルビーステレオが当たり前になりました。
    手塚治虫先生が尊敬したデミルとディズニーは常に観客に“光と夢”を提供する事を目的に映画を作り続けたという共通点が見出せます。

  • アメリカの夜

    2007/07/14 by 夢寝由来

    それから昼間なのに夜間のシーンを撮ってしまうこと。
    「ツブシ」なんて言います。
    ヨーロッパのように白夜のある国では、カメラ前にブルーの紗幕をかけて擬似ナイトにしてしまう撮影はよくやることです。

    HJさん。
    知らなかったデス。
    そんな表現は初耳ですし、ヨーロッパ映画にはまるで無知なので勉強になりました。
    「大いなる西部」(1958)のグレゴリー・ペックvsチャールトン・ヘストンの夜の格闘シーンや「捜索者」(1956)のテキサス警備隊がコマンチ族のキャンプを夜襲シーンが昼の撮影だった事は影を見れば一目瞭然ですが、ハリウッドでは俳優組合とスターの力が強く夜の撮影は危険を伴うと判断されスタジオセットか屋外なら昼に紗をかけて撮ったそうです。
    「泥棒成金」(1955)でフランスにロケした際のエピソードです。ケーリー・グラントが花屋で乱闘騒ぎを撮影中、ヒッチコック監督は何度か時計を見ていたので、見学を許された記者が
    “夕方だからカラー撮影に必要な光量が心配ですか?”と聞いたらヒッチ先生即座に“光量は充分です、ケーリー・グラントと交わした契約書に夕方6時には撮影を終了する事が明記されてるので”と答えたそうです。

  • Re: 映画の光と闇

    2007/07/14 by 未登録ユーザika

    夢寝由来さん、

    「そうです。ネガ3本同時撮影の大型カメラ」
    ということは、レンズの位置は完全には同一にならないから、映写された画像においても、よく見ると3原色が少しづつずれる……ということなんでしょうか?

    ディズニーの「ファンタジア」は、こどもの頃に見た記憶がありますが、世界初のステレオ音響映画だったとは知りませんでした。この作品の中では、バッハのトッカータとフーガにつけられた抽象風のアニメーションが一番印象に残っています。
    最近、アートフィルムで、石田尚志さんという若いアーティストの方が作られた、バッハの「フーガの技法」をやはり抽象アニメーションにした作品を見る機会がありましたが…… ディズニーの「ファンタジア」と較べてみますと、やはり半世紀の時の流れというものを感じます。(それにしても、バッハの音は、やっぱり抽象になる……という点は、面白かったです)

    「白雪姫」もこどもの頃に見た記憶があります。生意気ざかりでしたので、あんまり感心しませんでしたが……(「眠れる森の美女」の方が印象に残っている)
    『ハイホー』の歌は、
    ハイホー、 ハイホー、脳細胞……とか
    ハイホー、 ハイホー、癌細胞……とか
    勝手に替え歌で楽しんでいました。 ディズニーさん、ごめんなさい。

    デミルとディズニー……
    結局、映画の「見世物」としての側面を、かなり大切にされていた方々であったような気はします。
    映画の「見世物」としての側面は、今でも大切な要素であり、映画館にお客を誘う、大きな要因になっているように思います。

    ディズニー映画で、一番印象に残っているのは、『海底2万マイル』。
    あの、不思議なかたちのオーチラス号……そして、艦内で扇型のパイプオルガンを弾くネモ艦長……
    「海の下の帝国」を目に見えるかたちで示してくれたのは、やっぱり「映画の力」でしたね。

  • Re: 映画の光と闇

    2007/07/15 by 未登録ユーザ月夜野

    ikaさん
    >「完全な白から完全な黒までどれくらいの諧調を表現出来るかにかかるそうですが」
    >この点は、結局映写時の条件にもよるのではないでしょうか。映画館内が充分に暗くならない
    >と、黒の方の階調は良くわからないことになるでしょうし……劇場内では、本編の映写が始まる
    >と、非常口の標識灯も消えてしまうようですが、これは問題にならないのかな?劇場内の「暗さ」については、なにか基準があるのでしょうか?

    みなさん仰っている通り映画館の映写条件によって階調表現は大きく異なります。基本的な考えとして完全な黒と白という概念は存在しません。dジープシャドーとディープハイライトと言って最大濃度域と最小濃度域の間に無限の階調を作ることでモノクロ画像は成り立っています。ハイコントラストで鮮烈なインパクトを得る手法もありますが、基本は諧調が多いほど見た目は美しいように私は思います(表現意図によりけりで正解は存在しませんけど…)。

    映画館の映写環境が向上するにつれて場内の暗黒度もかなりの水準まで来ました。多くのシネコンだと映写に必要な暗さは保たれていると思います。本当はもっと暗くすることだってできますが、それだと足元も危険なので両立が難しいところです。映画館に暗さに対する基準はありません。ただし消防法による制限は存在します。非常誘導灯やフットライトがそうですね。試写室などではこれらも完全に消灯して全暗黒で映写することもありますが、さすがにこれだと映画館とは映像品質に歴然とした差がありますね。

    HJさん
    >新宿スカラ座と新宿プラザは同じ作品をかけることが多いようですが、プラザはスクリーンが
    >大きいだけにスカラ座に比べて明らかに輝度が落ちてます。

    新宿プラザ劇場のキセノンワット数は分かりませんが、横幅18mスクリーンなら明るく映すことは可能です。ユナイテッド・シネマ豊洲の23mスクリーンでも暗さは特に感じません。
    なぜ暗いか理由は分かりませんが場内壁面が白色なのは映写には致命的に悪影響ですね。最近のシネコンメイン館だと横幅15m以上が普通となり、そのほとんどは新宿プラザよりも明るい映像を映写していると思います。想像の域を出ませんが映写機の出力が弱い可能性はあるかもしれませんね。

    >劇場によっては映写ランプの寿命を延ばす為にわざと電圧を落として上映している劇場もあったと聞いてます。
    >さすがに今はこんなことはしてないでしょうね。

    残念な話しですがこれ、いまでも横行しています。電流値を落とすというよりはまっとうな明るさを失ったランプを使い続けるという例です。定格寿命が1500時間のランプを2000時間使うとかですね。お客様には分からない部分ですからだましだまし使ってしまったりするというわけです。理由としては映写ランプの経費削減に他なりません。もちろん、きっちりメンテナンスしている劇場のほうが多いはずですけど…。
    あとはランプ調整が悪いと新品でも暗く映ります。映写屋が見れば分かります。

    >フォーカスがボケたまま写してたり

    これは多いですね。物理的に焦点が合わない劇場も多々あります。
    映写は微妙なバランスの積み重ねで成り立っています。その調整を追い込めば幸せな画が映写されるんですが、実際はなかなか難しいものです。向上させたくても設備的に難しい劇場もありますね。
    お金を払って見に行くのだから、映画館ならではの迫力や映像美を堪能したいものですね。

  • Re: 映画の光と闇

    2007/07/15 by HJ

    月夜野さん、レスありがとうございます。
    そういえばプラザは白い壁でしたね、最近入ってないもので忘れてました。
    実は都内の単館でしか上映していないものを見たくて、時々小さくて設備のよくない劇場に行きます。
    「ホテル・ルワンダ」を上映していた渋谷の映画館は最悪でしたね。
    それ以外は設備のしっかりしたシネコンで見ることが多くなってます。
    ランプの電圧を落とした状態で上映している劇場が今もあるというのは残念ですが、
    こういうところは映写機のメンテナンスもまともにやっていないのでしょうかね、
    時折スクリーンの周辺にひどいシェーディングが出てしまっているところもありました。
    もちろん音響設備もまともではありません。
    おそらくは観客が少ないせいで残響が大きくなってしまって聞こえ難くなっていることもあるかと思います。
    数年前に有楽町のスバル座でチャップリンの特集をやっていたので何本か見て来ました。
    スバル座というとスクリーンの左右に大きなスピーカーがむき出しに置いてあったのを覚えていますが、
    この劇場ではライブコンサートを記録したものなどを上映することが多かったようで、
    視覚的にスピーカーが見えると音もいいように錯覚するようです。
    もちろん当時の音楽映画自体、それほど優れた録音が出来る技術もなかったでしょうが、
    好きなアーティストが演奏する姿を見られるだけで、音など雰囲気で楽しんでただけのようです。
    今は劇場のあちこちからいろいろな音が聞こえて来ます。
    映画はスクリーンで見る派ですが、確かに高い料金を払っただけ存分に楽しみたいものです。

  • Re: 映画の光と闇

    2007/07/15 by 未登録ユーザika

    月夜野さん、はじめまして。

    お越しくださり、ありがとうございます。
    ときどき寄稿される専門家としてのご意見、なるほど……と感心しつつ読ませていただいております。
    (ホームページも拝見しました。高度なことが詳細に、しかもわかりやすく書かれいて、とても楽しいページですね)

    今回、モノクロームの階調表現と、映画館の暗さについてお教えくださり、ありがとうございました。

    「完全な黒」も「完全な白」も存在しないというのは、おっしゃるとおりだと思います。
    理論的には、光量子が1個も網膜に当たらなければ 「完全な黒」になるのだと思いますが、網膜の方の安定性が、機械のようにはいかず、おそらくは 光量子がなくても、ある程度の確率で常に反応を起こしている視覚細胞があるのでしょうから。
    アメリカの現代美術作家で、ジェームズ・タレルという人は、この特性を利用して作品を作っていました(このことは別のところに詳しく書きました)。私も、この作品を見る……というか、体験したことがありますが……「見えるような気がする」ものが、果たして対象としてあるのか、自分の網膜の反応にすぎないのか……その分界線が定かではない、とても不思議な世界でした。
    「完全な白」は、対照的に、全視覚細胞が完全興奮状態にあるということになると思うのですが……これも、人間の 視覚細胞の特性からするとありえないことですね。

    モノクローム画面には、「色」はないわけですけれど、人間の視覚細胞のうち、色彩を感じるコーン細胞は、ある程度の光量以上ではやっぱり働いてしまいますから、厳密にいうならば、モノクロームの映画の画面においても、人の眼は、なんらかの色味は、やはり感じているのだろうと思います。
    今見ている画面が、モノクロームであるかどうかは、いくぶんかは、見る人の意識にも関係しているように感じます。
    以前、こどものころ、「パリは燃えているか」を劇場に見に行きました(上にも少し書きました)。
    このとき、私は、この映画がモノクロームであることを知りませんでしたので、最初の画面から、ええっ!と思いました。
    でも、もしかしたら非常に淡いカラーなのかもしれない……と思って、しばらく見ていました。
    この映画が、完全にモノクロームでつくられていると覚ったのは、開始後だいぶたってから……おそらくは、30分くらいたってからであったと思います。

    思い返してみますと……その30分くらいの間に、私は、 モノクロームの画面にもかかわらず、いろいろなものに、「かすかな色味」を感じていたように思います。
    色があるのでは……と思いながら見ると、なんとなく、「淡い色味」があるようにも見えてしまいます。
    でも、30分たって、「なんだ、モノクロームだったのか」と思ったとき(こどもだから正直にがっかりした)、画面からは一切の色味が消えて、ふつうのモノクロームの映画の世界になってしまいました。
    このことを考えると、人間の視覚の働きというのは、本当に複雑で不思議なものだと思います。
    「色」について、さきほどの、ジェームズ・タレルさんの作品のような経験をしたわけです。

    月夜野さんは、上映の専門家として、いろいろなことを体験されたと思いますが、やはり映画は、最終的には見る人の感覚によって印象が決まるものでしょうから、人間が、ものをどう見て、どのように受けとるか……ということについても、やっぱりいろいろご苦労がおありだと思います。
    人は、厳密にいうならば、みな視覚能力、聴覚能力が異なっていて……それには、見る人の気分というか、精神的なものも少なからず影響するでしょうから、結局「正解」というものはなく、試行錯誤の上で、大多数の人に一番良い映写環境……ということになるのでしょうか。
    でも、それには、お客さんの年齢層や、場合によっては地域による差みたいなものもあるかもしれませんね。

    「上映マニュアル」のようなものは、あるのでしょうか?
    たとえば、こういう年齢層の人が多い場合には、こうする……みたいな。
    制作者側は、当然、制作時には一定の上映環境を頭に描いて作るのだとは思いますが……それと、実際の映写現場のズレというのも、当然あるのでしょうね。
    結局、上映にあたって、最終的に判断して決めるのは、現場の技師の方々……ということになるのでしょうか。
    映画は、理論的には完全パッケージ商品になるのでしょうが、実際には、上映現場におけるパフォーマンスというものが、けっこう最後の印象の決め手になるようにも思います。

    私たちは、見せてもらう側なので……映画館を選んだ時点で、もう選択の余地はないわけですけれど……でも、ときどきですが、しまった、この劇場を選んだのは失敗だったかな?と思うときはあります。(音がやたらに大きいときとか)
    逆に、すばらしい作品にすばらしい映写環境で出会いますと、それは本当に一期一会になって、ずっとあとまで、しあわせな思い出として残りますね……。

  • 闇にこだわると…

    2007/07/15 by 夢寝由来

    > レンズの位置は完全には同一にならないから、映写された画像においても、よく見ると3原色が少しづつずれる

    ikaさんの疑問もっともです。私も機材の撮影メカニズムまでは分かりません。20年位前に見た専門誌に載った「モホークの太鼓」(1939)の撮影風景でカメラの斜め背後から撮った白黒写真を見た時の“マガジンが3器装填してある大きなカメラだ”という印象です。1台500kgは「北西騎馬警官隊」の解説書からの情報です。当時の「風と共に去りぬ」(1939)や「誰が為に鐘は鳴る」(1943)をDVDで見て画像のズレは感じませんが、これはデジタル処理の功績でもしかしたらリアルタイム上映時はズレが生じていたかも知れません。

    ディズニー映画で、一番印象に残っているのは、『海底2万マイル』。

    当時のディズニー映画では珍しい主人公ネモ船長(ジェームズ・メイソン)は“闇の帝王”ですね。モリ打ち名手ネッド・ランド役のカーク・ダグラスも陽気に歌うシーンがあるにも関わらず闇のイメージが似合うスターです。海は死を呼ぶ闇にもなるが同時に無限の可能性を秘めた夢でもあるというのが、メッセージでしょう。

    闇を嫌ったデミル映画であえて闇を捜すと
    「絶海の嵐」(1942)悪徳弁護士キング・カトラー(レイモンド・マッセイ)にそそのかされて故意に船を沈没させたジャック・スチュアート船長(ジョン・ウェイン)は正に闇の世界に引っ張られた状態だが、ラスト海底で大ダコと闘って恋敵の善玉弁護士スティーヴェン・トリガー(レイ・ミランド)を助ける悲劇の主人公として死ぬ
    。やはり海が闇ですね。
    「地上最大のショウ」(1952)のバトンズ(ジェームズ・スチュアート)は過去と警察から逃げる為“リング・リング・兄弟サーカス”で道化師として終始道化メイクで素顔を見せない闇の男だが列車事故で死にかけの団長(チャールトン・ヘストン)を助ける為に刑事の前で素性を明かすヒーローになる。予告編でもJames Stewartという文字は一番大きく紹介されるやはり光そのものですね。
    「十戒」(1956)この遺作でデミル氏は初めて闇を撮ったと思う。デミル自身のナレーション“神が光あれと言ったから光があった”で始まるが、闇の世界で苦しむヘブライ人奴隷たちに光が当るのがテーマだから。特にヘブライ人でありながらエジプト人の手先になって同朋を裏切るデイサン(エドワード・G・ロビンソン)はエジプト人から見放され恥を忍んでヘブライ人の脱エジプトに加わり、偶像崇拝させて支配者になろうとした挙句地獄に堕とされる。これはレッドパージを連想してしまう。戦後アメリカは共産党追放運動が盛んでハリウッドはその最適な宣伝材料の場所だった。デミルは体制側のボス的存在だったが、ロビンソンは失業した脚本家の口座に生活費を振り込んだのが発覚し『裏切り者』呼ばわりされた。レッドパージ期に体制側にいたことはデミル自身の闇であり、ロビンソンに生涯の集大成映画で『裏切り者』の役を依頼したのは謝罪のように思える。

  • ワイド・スクリーン(改訂版)

    2007/07/15 by 夢寝由来

    > あなたの映画の光と闇とは……

    1953年、ハリウッドはテレビ対策として大型映画を取り入れ、20世紀フォックスが「聖衣」を翌年パラマウントが「ホワイト・クリスマス」を公開しました。
    前者は従来の(勿論、改良後の1本のネガですむカラーカメラ又は白黒カメラ)にアナモフィック・レンズを装填する事で従来の2倍近い横幅画面をネガに圧縮し、上映時は逆に映写機にアナモを装填しポジから元に戻した広い画面を再現する方式で縦:横=1:2.35の比率のシネマスコープ方式。
    後者は従来撮影時に立てに縦に(24コマ/秒)流していたフィルムを専用のビスタビジョンカメラで横に流し(48コマ/秒)得られた鮮明なネガを従来の縦ポジに焼付け上映時は縦:横≒1:1.85の比率のビスタビジョン方式。なぜ『≒』であって『=』じゃないか?映写技師によって上映時に統一されなかったからデス。少し脱線するとビスタビジョン・カメラにアナモレンズを装填したテクニラマという方式もありました、縦横比はシネスコと同じですが、シネスコより鮮明な画像です。「大いなる西部」(1958)、「山猫」(1963)が有名です。
    日本でも1957年に東映が「鳳城の花嫁」(松田定次監督/大友柳太朗主演)をシネマスコープ第1作として、大映が「地獄花」(伊藤大輔監督/鶴田浩二主演)をビスタビジョン第1作として公開し、喜劇仕立ての前者は大ヒットしたのに対し陰惨な内容の後者は惨敗だった。これは会社経営における“光と闇”ですね。
    結局、日本では撮影時も映写時も共にアナモ追加という扱い易さもあってシネスコが主流になった。
    一方、本場アメリカでもネガの費用が2倍要するビスタビジョン方式は1960年頃中止になり、(ここからが深刻な問題!)スタンダード(縦:横=1:1.33)で撮ったネガを従来通りポジに焼きつけ上映時に天地削除のマスクをかけて拡大上映するビスタサイズ(アメリカは縦:横=1:1.85、ヨーロッパは縦:横=1:1.66)が主流になってしまった。
    現在DVD化されている映画、1954年以降の作品はシネスコ以外は殆どビスタサイズで収録されているが、果たして劇場での公開もビスタサイズだったのか?それともスタンダードだったのか?疑問を感じます。

  • Re: 映画の光と闇

    2007/07/16 by 未登録ユーザika

    夢寝由来さん、こんにちは。

    「撮影風景でカメラの斜め背後から撮った白黒写真を見た時の“マガジンが3器装填してある大きなカメラだ”という印象」
    ということは、もしかしたら、レンズ部分は1本で、フィルタと鏡を使って3本のマガジンに光線を分岐させている可能性もありますね(これだと、画像のズレは理論的になくなりますが)。

    「ネモ船長」
    見たとき、なんてかっこいい人なんだ……と思いました(ミーハーですが)。私は、なぜかこういう、「影を背負った中高年男性」に惹かれる傾向があるようです。
    ネモ船長は、その後、映画におけるアーキタイプの一つとなって、さまざまな作品に姿を変えて登場しているように思えます(とくに、SF作品において)。
    “闇の帝王”というと、どうしてもシャーロック・ホームズシリーズのモリアティ教授を思い出します。私は、NHKでやっていたテレビシリーズが好きで、よく見ていましたが…… ホームズのロンドンは、もうそのほとんどが「闇の都」というイメージです。
    降霊術など、神秘的かつあやしげなこともいろいろ行われていたようですし……
    「妖精写真」という映画では、コナン・ドイル自身が登場しました。
    『海底2万マイル』の時代設定も、大体この頃じゃないでしょうか。

    「カーク・ダグラス」
    闇のイメージが似合うスターでしたか……。私は、「スパルタカス」での印象がけっこう残っています……というか、それ以外はあまり見ていないと思います。

    「十戒」は、思い出深い映画ですね。ビデオやDVDで何度も見直しましたが、「立派だなあ」という感想が、まず出てまいりました。ただ、どうしても、ユダヤ系の方々の力は感じますね。リメイク版の「十戒」も見たけれど、こちらのモーゼは、なんとなく自身なさげなところもあって、面白かったです。

    いろいろな撮影方式について書いていただき、ありがとうございました。

    「上映時に天地削除のマスクをかけて拡大上映」
    ずいぶん乱暴なやりかたをするのですね……たしかに「深刻」なのかも……上下の情報が、ないってことじゃないですか。いいのかなあ……

    撮影方式については、やっぱり、きちんと劇場で、そのとおりの映写方式で見ないとちょっと実感できないですね……失われつつあるものの大きさを感じます。

  • Re: 映画の光と闇

    2007/07/16 by 未登録ユーザ月夜野

    HJさん
    >そういえばプラザは白い壁でしたね、最近入ってないもので忘れてました。

    白い壁や天井はスクリーンの光を照り返してしまうので映像品質に悪影響が大きいです。新しい映画館の多くが無彩色の場内にしている大きな理由です。微妙な階調表現を行うために必要なことは他にもありますけど、場内反射の低減は大切ですね。

    >「ホテル・ルワンダ」を上映していた渋谷の映画館は最悪でしたね。

    桜丘のあそこですね^^;あの構造だと限界があることは明らかです。
    ミニシアターは本来映画館を造るべきではない建物に立地していることが多いんです。シネコンなどでは1つのスクリーンにビル2階層分のスペースを使いますが、ミニシアターの多くは1階層分。差が出て当然ですね。ミニシアターでも良い箱はあって、改善はされてきていると思いますが、天井高の問題はなかなか難しいです。

    >ランプの電圧を落とした状態で上映している劇場が今もあるというのは
    >残念ですが、こういうところは映写機のメンテナンスもまともに
    >やっていないのでしょうかね

    映写機にはランプの出力に応じた定格電流値が設定されています。この出力にはふり幅があってある程度は映画館の判断で調整できるのです。たとえば2kwランプ(平均的な映写距離で幅9mくらいのスクリーンに対応できる出力です)だと60A〜80Aくらいで調整して映像の明るさを可変することができるのです。

    ランプが新しいと低めに、古くなると暗くなるので高めにします。こういった調整を怠っているとチラツキや暗さの原因になってしまいます。映写ランプの調整は明るさは分かりやすいですがランプ焦点や電流値の決定などお客様からはほとんど意識されない部分もあり、これを疎かにしている映画館もあるのかもしれません。もっともランプは高価なので交換に及び腰になるのも不思議はないですが…。少々の劣化は電流値である程度補正できますからね。

    ikaさん

    >ホームページも拝見しました。高度なことが詳細に、
    >しかもわかりやすく書かれいて、とても楽しいページですね

    恐縮です。他ではあまり記述されない視点から分かりやすい記事の作成を心がけております。ご意見などがございましたらお気軽にメールにてお申し付けください。

    >私は、 モノクロームの画面にもかかわらず、いろいろなものに、
    >「かすかな色味」を感じていたように思います。

    黒と白は本当に正解のない世界ですよね。写真でもシャドーとハイライトの決定方法は作家によってかなり違います。当然映画も制作者の意図によって大きく変わるようですね。

    黒といっても様々な色味が加わります。冷調でシアンよりの白黒、グリーンよりの白黒、マゼンタよりの白黒…。セピアはマゼンタを強くしたモノクロですし。
    白の部分は映写ランプやスクリーン性能に大きく影響されます。もちろん壁面や天井の反射光が悪影響なのは言うまでもありません。

    >厳密にいうならば、みな視覚能力、聴覚能力が異なっていて……
    >それには、見る人の気分というか、精神的なものも少なからず影響
    >するでしょうから、結局「正解」というものはなく、試行錯誤の上で、
    >大多数の人に一番良い映写環境……ということになるのでしょうか。

    映写に対するご推察、嬉しく思います。映写は裏方ですからikaさんのようにいろいろと考えてくださる方は少ないです(笑)。

    はっきり言ってしまえば万人に合わせた映写は不可能です。仰るように各人の能力や気分などに左右される部分が多いためです。
    私自身は「制作者の意図を忠実に再現できるように努力する」ことにスタンスを置いています。観客が求めるよりも制作者が求めるものを優先します。しかし、実際にご覧になるのはお客さまなので、その折半がとても大切でかつ難しいと認識しております。具体的にはいちばん問題となるのが音量ですね。出来る限り規定音量を維持したいのですがお客様が不快に感じられる音量は避けたいのでバランスがとても大切なのです。

    映写は映画会社から映画をお借りして、映写する全責任を負います。どんなに優れた映画も映写が良くないとパーになってしまうんです。お客様の要望に耳を傾けながら、クオリティを上げるのは映写の醍醐味ですね。どちらかの立場を固持するのは避けながら、両立させるバランス感覚です。機械的に作業をこなしていると疎かにされてしまうアナログ的な部分なのかもしれません。

    >「上映マニュアル」のようなものは、あるのでしょうか?

    映画館ごとにあります。

    >制作者側は、当然、制作時には一定の上映環境を頭に描いて作るのだとは思いますが……
    >それと、実際の映写現場のズレというのも、当然あるのでしょうね。
    >結局、上映にあたって、最終的に判断して決めるのは、
    >現場の技師の方々……ということになるのでしょうか。

    その通りです。

    >実際には、上映現場におけるパフォーマンスというものが、
    >けっこう最後の印象の決め手になるようにも思います。

    本当にそうですね。責任重大です。
    色んな方の映画の評判や感想を聞いていると「あの映画はボケてる」とか「字幕が見づらい」とか「プリントが悪かった」といろいろ聞きますが、プリントに問題があるのか映写に問題があるのかを考慮せずに一緒くたにして語られることが多いように感じます。プリントの質が悪いとどうすることもできませんが、映写が悪いのに映画のせいにされるのは不憫でなりません。この逆もありますけど(>_<)

    >すばらしい作品にすばらしい映写環境で出会いますと、それは本当に一期一会になって、
    >ずっとあとまで、しあわせな思い出として残りますね……。

    この映画をこの小屋で見て本当に良かった、そう思える映画体験が私にもあります。映画館で映画を見る醍醐味のひとつですね。必ずしも映写性能が高い映画館だからというのは当てはまらないこともあります。昔ながらの映画館で見た『スピード』は設備こそ良くなかったですが観客の一体感がそこにはあって、大いにハラハラドキドキしました。あの興奮は今でも忘れられません。また先日は音響効果の良いシネコンで『ダイ・ハード4.0』を鑑賞し、素晴らしい映像と音響に酔いしれました。映画はやはり映画館で見たいし見てほしいと切に願ってしまいます。

  • 俳優は光か?闇か?

    2007/07/16 by 夢寝由来

    > あなたの映画の光と闇とは……

    ikaさんへ
    『俳優論』になってしまうかもしれないが、お付き合いを…
    カーク・ダグラスを闇のイメージが似合うスターと定義したのは無論、私見です。
    私は男優に限って≪白黒でデビューしカラー〜ワイド時代を生き抜いたスター≫に非常に憧れる傾向があります。ダグラスも白黒スタンダード画面「チャンピオン」(1949)で売り出し、カラー・ビスタビジョン「OK牧場の決斗」(1956)、カラー・70mm「スパルタカス」(1960)と撮影方式が異なれ其々に代表作を残しています。同世代のバート・ランカスター、グレゴリー・ペック、ウィリアム・ホールデン等息の長いスターは皆この条件に当てはまります。
    この中でランカスターは光と闇を巧みに往復した人、ペックは「白鯨」(1956)の様な2〜3本の例外を除くと基本は光の住人、ホールデンも「ワイルド・バンチ」(1969)以外は光の住人と思えます。この3人に光のイメージがあるのは演技以前に『相手役女優(デボラ・カー、オードリー・ヘプバーン、グレース・ケリー、ジーン・シモンズ等)の魅力を引き出す力を持っていた』からではないでしょうか?その点ダグラスはあくまで自己チューで女優は自分の映画の共演者と割り切っているという印象を受けてしますのです。
    もう一つは『笑う演技』、ランカスターは笑う顔も豪快で身体全体で笑っている、ペックは目が優しく笑っている、ホールデンはあのスマイルがうりに対してダグラスはどこか自嘲的な笑いか相手を軽蔑した笑いが多く観客が好感を持てない感じがする。「スパルタカス」で大笑いするが、あれはいつ死ぬか分からない悲壮感の裏返しに感じます。
    彼らは3つの時代を経験できたから幸運だったのではないでしょうか?1970年代以降にデビューした俳優はカラー・ビスタサイズの画面(たまにシネスコサイズ)でしか演じれないから…

  • ワイドスクリーン:第2報

    2007/07/16 by 夢寝由来

    あなたの映画の光と闇とは…
    テクニカラー・カメラ
    もしかしたら、レンズ部分は1本で、フィルタと鏡を使って3本のマガジンに光線を分岐させている可能性もありますね(これだと、画像のズレは理論的になくなりますが

    ikaさんのおっしゃる通りかも知れません。
    「白鯨」(1956)でジョン・ヒューストン監督がくすんだ色調を出したくて(当時のカラーは派手派手しかった)撮影のオズワルド・モリスと相談しテクニカラーのネガを4枚にしたというエピソードもあります。スタンダードサイズです。

    1952年に始まったシネラマは35mmカメラを3台使って撮影し、3台の映写機で再現する方式。縦:横=1:2.88の画面を得ます。撮影時各カメラは36コマ/秒です。フィルム消費は従来の4.5倍です。スクリーンは一面ではなくスダレ状で上から見ると扇型で146度のカーブを描いてました。5〜6本観光案内映画を製作し、1962年遂に劇映画「西部開拓史」を発表しましたが、3面を合体させた画面はつなぎがわかり3面の色調も異なるので翌年からシネラマは1本の70mmを使う方式に変更されました。「西部開拓史」は劇場設備によって1本の70mmプリントや35mmシネマスコープ・プリントで公開されました。
    70mm方式にはトッドAOカメラ、MGM65、レンズによってスーパー・パナビジョン、ウルトラ・パナビジョン、スーパーテクニラマ70等何種類かありました。縦横比は1.2.22、1:2.35、1:2.66、1.2.88がありましたがどの規格が観客に最も好評だったのか?不明です。私が小学生の頃しばしば洋画ポスターにデカデカと70mm方式とかシネラマ、D−150方式、或いは超大型映画・完全立体音響と記載されていたのを覚えています。
    注意点はパナビジョンはレンズメーカー名であって決してワイドスクリーンを意味するわけではありません。

  • Re: 映画の光と闇

    2007/07/17 by 未登録ユーザika

    月夜野さん、再度、詳しくお教えいただき、ありがとうございます(返信少々遅れてすみません)

    「黒といっても様々な色味」
    これについては、映画ばかりではなく、写真や印刷などについても感じます。映画の場合ですと、クールな色調に寄せたりとか、逆にウォームな色調にもっていったりということは、撮影時にできるのでしょうか(例えば、フィルムの種類の選択なんかで)。

    それと、白黒以外のモノクロームというと、やっぱりセピアが多いのでしょうが、考えてみると、無限の色のモノクロームがありうる中で、なぜセピア色が「大きな顔」をしているのかが不思議です。そうなるべきなんらかの理由があるのか(例えば、肌色に近いとか)あるいは、なんとなくそうなっちゃっているのでしょうか……(思い返しても、白黒とセピア以外のモノクロームは、あまり見た記憶がありません)

    「制作者の意図を忠実に再現できるように努力する」
    これについては、製作側から、上映に関してなんらかの具体的な指示があるんでしょうか。あるいは、内容から、映写技師さんが製作側の意図を読み取る……ということなのでしょうか。(音量については、規定音量と書いておられるところをみますと、なんらかの指示はあるみたいですね)

    音量についてはよくわかりませんが、私は、昔の劇場と、今のシネコンタイプの劇場では、明らかに全然違うように感じます。昔の劇場の音は、なにか全体が包まれるような柔らかなものであったように記憶していますが、今のシネコンでは、低音域と高音域がものすごく突出していて、ちょっとききづらいな……と感じることも多いです(全体的に、音が硬いな……と感じます)。前に『どろろ』を近所のシネコンで見たときは、柴咲さんの高い声がものすごく強調されていて、ちょっと耐え難いものがありました。……「感じ」の印象で恐縮ですけれど、昔の劇場と、今のシネコンタイプの劇場では、どこがどう違うのでしょうか。

    「この映画をこの小屋で見て本当に良かった」
    私の場合、大きいスクリーンが好きなので(単純ですが)、昔、中日シネラマ劇場(名古屋)でみた『2001年宇宙の旅』や『偉大な生涯の物語』など、強く印象に残っております。巨大湾曲スクリーンの最前列中央で見る……ということもやってみましたが、もうほとんどプラネタリウムで……きちんと映画を見る……ということからすると邪道かもしれませんが、映画を「体験する」という感じでした。

    もっとも、映画体験というのは不思議なもので、設備やスクリーンの大きさだけでは語れない「なにものか」はありますね。小さくて、設備も古い小屋だけど、そこで見た映画が忘れられなかったり……とか。私も、昔、名古屋の場末の汚い小屋でみた『ベニスに死す』とか、映画館でもない貸しホールでやっていた『惑星ソラリス』や2馬力の『柳川物語』など、不思議に豊かな情感を伴って、思い出として残っています。

    はなはだしくは……昔、近所の大学の学園祭で、学生さんたちが『ダークシティ』を上映したのですが……「これは、封切り前の映画の特別上映です」ということで、わくわくしながら見ておりましたら……上映開始後30分くらいで突然映写が中断され……その後、何度トライしても、結局まともな映写にならなかったので、あきらめて途中で帰りました(専門家でなく学生さんが映写機を回していた)。直後は「ただでも、あれはひどい」と怒っていたのですが……しかし、もう十年以上もたった今、ふりかえってみますと、それがなんとなく「良い思い出」として残っているから不思議です。

    思うに、封切り前の映画を借りてきて、無料で近隣の人に見せたい……という学生さんたちの思いは、やはり熱く伝わってきたからだと思います。……まあ、事前にもう少し練習しとけば……という気もするけれど、映写機もフィルムも直前で、ぶっつけ本番だったのかもしれません……。いずれにせよ、映画の内容にほれこんで、これを多くの人に見せたい……という情熱には、なにか原点的なものを感じました。今の多くの映画館にも、やっぱりこの原点の気持ちは感じます。そういう意味で、「映画の上映」というものは、永遠に変わらない、なにかワクワクするものがありますね。

    夢寝由来さん、

    カーク・ダグラスの項、読ませていただき、なるほどと感じました。「自己チュー」というのはおっしゃるとおりで、『海底2万マイル』でも『スパルタカス』でもそれは感じました。なんか、全体から少し浮いているというか、はまっていないというか……みた当時の印象は「硬い人だなあ……」ということだったですが、私の印象も、あながち個人的なものではなかったみたいですね……

    「テクニカラーのネガを4枚」
    要するに、3原色以外の色を一枚加えたということですか?
    そうすると、何色だったのでしょうか。
    印刷では、4色(シアン、マゼンダ、イエロー、ブラック)以外に、特色を加えるのは良く使う手のようですが(美術印刷なんかだと8色くらい使うそうです)。

    「シネラマ」
    上にも少し書きましたが、昔、名古屋の「中日シネラマ劇場」によく行きました。気に入った作品だと何度も通い、いろんな席に座って見ました。前の方だとほんとにスクリーンに呑みこまれてしまい、「鑑賞」が「体験」に変わる微妙な瞬間を味わえます……たしかに、スクリーンはスダレ状でしたね。あれだけのカーブは1面では無理なのでしょうね。

    ……多くの作品は70mmでしたが、3台の映写機を使った本格的なシネラマ作品も見ました。「おかしなおかしなおかしな世界」という奇妙なタイトルのものだったと記憶しています。内容的にはあまりたいしたものではなく、ひたすらシネラマ方式を見せたいために作ったような映画であったという印象です。3台の映像がスクリーンで重なるためにつなぎ目はやはり目立ち、けっこう違和感がありました。シネラマ方式がすたれたのも無理はないかな……と思います。

    アイマックスは、私は見たことがありませんが、見ないうちに次々と閉館に追いこまれているみたいですね。今は、巨大スクリーンの「見世物」色の強い映画館はだめなのでしょうかね……私はけっこう好きなんですが……

  • Re: 映画の光と闇

    2007/07/18 by 未登録ユーザ月夜野

    ikaさん

    >映画の場合ですと、クールな色調に寄せたりとか、
    >逆にウォームな色調にもっていったりということは、
    >撮影時にできるのでしょうか

    撮影技術については全くの素人なので、お詳しい方の解説を期待いたします(>_<)ある程度はライティングとフィルターワークで撮影時にコントロールできそうにも思いますがどうなのでしょうか。
    セピアが多い理由は何かありそうですよね。今でもモノクロフィルムをカラープリントすれば簡単に作れますから、作成環境が容易にできることもあるかも。

    >「制作者の意図を忠実に再現できるように努力する」
    >これについては、製作側から、上映に関してなんらかの具体的な
    >指示があるんでしょうか。あるいは、内容から、
    >映写技師さんが製作側の意図を読み取る……ということなのでしょうか。
    >(音量については、規定音量と書いておられるところをみますと、
    >なんらかの指示はあるみたいですね)

    製作側からの指示は特殊な例を除いてありません。『ドリームガールズ』が少ない例のひとつです。
    映画音声の再生はセオリーがあって、これに則って上映が行われています。セオリーとは劇場の設計構造から音響装置のセッティング、調整、音響特性などの環境造成と、基準再生音量ドルビー・プロセッサー値7.0=85dB SPLと言われる2つが大きな柱です。
    セオリーに沿っていても作品の音声や箱のサイズなどで必ずばらつきがあるので、これを適正と考えられるレベルに調整していくのが映写の仕事です。また客層や作品の個性によっても多少の調整は行いますが映写で可変できるのはせいぜいマスターボリュームのみで、イコライザやベースマネージメントなどの周波数特性調整などは普通行いません。

    制作者の意図を読み取りつつ、自分の劇場で最適な音声になるように経験や知識を使って仕上げていきます。映画館によっては本当に「音作り」をしているところもありますが特殊な例ですね。制作者の意図を再現するには、それに応じた箱(THXなど)が良いのは言うまでもありません。

    >昔の劇場の音は、なにか全体が包まれるような柔らかなもので
    >あったように記憶していますが、今のシネコンでは、
    >低音域と高音域がものすごく突出していて、ちょっとききづらいな……
    >と感じることも多いです(全体的に、音が硬いな……と感じます)。

    仰る昔の劇場の範疇が分かりかねるので推測での記述となります。基本的に昔の劇場とシネコンとで大きく違う点は以下です。
    ・場内の残響時間
    ・場内内装材(音響調整設備)の変化
    ・音響機材の進歩
    ・アナログ音響からデジタル音響への変化
    ・劇場施工技術の向上
    これらがこの20年で大きく変化しました。具体的な言及はとても長くなるので拙ホームページでいつかご紹介しようと思います(影響要素が多すぎてここではご紹介するのが難しいです)。構造設計が大きく変わり、映画の音自体もアナログからデジタルに進歩しました。
    ただし低音域と高音域がものすごく突出しているというのは極端なのでそういう設計をしている箱の可能性もあります(シネコンだから音が良いということは決してありませんからね)。

    また「良い音」は抽象的な言葉に過ぎず、何を重視するかで映画館の良い音は変わりますから難しいものです(・.・;)私は重低音やサラウンド感などの派手な部分より細かいニュアンスや正確な空間醸成とリアリティ表現を大事にしています。やはり映画館音響の基本思想として王道なのはTHXだと考えています。

    『どろろ』の柴咲さんの台詞は仰るとおり高音成分が多くて金切り声に近いような録音も少々ありました。劇場の特性と音量によってはきついかもしれませんね。それが制作者の狙いかはたまた劇場の個性によるものか分かりかねますが、不快な音を不快なまま再生するのも性能のひとつですので、一概に悪いとも言い切れないところです。
    おそらくですが、『どろろ』は作品のせいではなくご覧になった劇場の再生レベルが大きかったのが原因ではないでしょうか。もしくは音響機材の調整がまずい劇場か…。

    >大きいスクリーンが好きなので(単純ですが)、昔、
    >中日シネラマ劇場(名古屋)でみた『2001年宇宙の旅』や
    >『偉大な生涯の物語』など、強く印象に残っております。

    大画面は良いですよね。私は画面の大きさにはあまりこだわらないですが(シネスコで横幅10mもあれば満足です)大きなスクリーン(画面ではなくあくまでスクリーン)に映し出される映画を見るのは本当に至福です。シネラマには遠く及びませんがユナイテッド・シネマ豊洲#10やTOHOシネマズ六本木ヒルズ#7などの大画面は迫力があって良いですね。

    >封切り前の映画を借りてきて、無料で近隣の人に見せたい……という
    >学生さんたちの思いは、やはり熱く伝わってきたからだと思います。……

    そのお気持ちよく分かる気がします。映画館でも古ぼけた旧館でも丁寧な映写を見ると心が温かくなりますけど、新しい映画館で設備が良くても雑な映写だと寂しいですからね。映写の仕事はお客さまに顔は見えないけれど、心意気や意識は不思議と伝わるように思います。前にも書きましたが「制作者の意図を忠実に再現できるように努力する」ことは映写としてのサービスだと思います。
    個人的には最新映画館の性能を堪能するのが好みではありますが、設備は良くなくても丁寧に大切に映写している映画館も好きですね。

    IMAXはぜひ行ってみてください。お勧めいたします。

  • Re: 映画の光と闇

    2007/07/18 by 未登録ユーザika

    月夜野さん、
    いろいろ、教えていただき、ありがとうございます。

    「昔の劇場」……たしかにあいまいな言葉でした。
    自分自身でも、いつの頃かわからなくなっているのでこう書きましたが、やはり20年くらいは前の劇場の状態であると思います。
    記憶の中ではなんでも美化されますので、そういうふうに思いこんでいるという要素も強いのかもしれません。
    また、肉体的に若いと、多少強めの音でもかえって心地よく聞こえていたということもあるかもしれません。
    ほんとに、老若男女健康状態気分さまざまの人が、一つの箱で見るのですから、調整は大変だと存じます……
    ホームページの記載も、楽しみにしております。

    「良い音」……たしかに、なにをもって「良い音」とするのかは難しいですね。
    私の場合、洋画ですと字幕が出るからいいのですが、邦画の場合には、少なくとも俳優さんたちの言葉が聞き取れない音響は、困ります。
    まあ、これは、俳優さんたちの発音も関係するから、音響サイドの問題だけではないと存じますが。
    言葉は明瞭に聞き取れるが、音響や音楽はあまり立っていない(また不明確な言葉ですが)、柔らかく包んでくれるような音の劇場が、私としては好みです。
    (感覚的にいうなら、アナログ的な音ということになるのでしょうか)

    THXは、私のよく行くシネコンにもあるようですから、今度は注意して見ます。……私は、混雑が嫌いなので、上映開始から少し日数がたったころにいつも行くようにしているのですが、そうするとたいていはTHXではない部屋での上映になっています。今度は、ちょっと早めに、THXでやっているときに行ってみようと思います。

    「劇場の再生レベル」……ですが、同じMOVIXでも、私のよく行く三好と京都では、再生レベルがかなり違っていて驚きました。(三好の方がかなり高め)同じ系列の劇場でも、こういうことがあるんですね……

    アイマックスは、近くにはないようですが……一度見てみようと思います。

  • MOVIX

    2007/07/18 by Baad

    今日初めて気付いて、ikaさんと月夜野さん、夢寝由来さんのやり取り興味深く拝見しました。

    >「劇場の再生レベル」……ですが、同じMOVIXでも、私のよく行く三好と京都では、再生レベルがかなり違っていて驚きました。(三好の方がかなり高め)同じ系列の劇場でも、こういうことがあるんですね……

    ↑こちらなんですが、前に麦わら帽子のジミーさんがスレッドを立ててMOVIXの音響について書いていらしたんですが、厳密にはMOVIX京都は同じ系統ではなく、他のMOVIXと比べて再生レベルは抑えめなのだそうです。これも別系統らしいMOVIX本牧はどうだったかは覚えていません。

  • Re: 映画の光と闇

    2007/07/18 by 未登録ユーザika

    Baadさん、こんにちは。

    「厳密にはMOVIX京都は同じ系統ではなく」
    たしかに、MOVIXのウェブサイトでも、京都は少し別扱いになっていますね。理由はわからないけれど……
    音響(音量)の差も、それが原因なのでしょうか?

    直接は関連ありませんが、京都のマックは茶色(ロゴが)ですね。
    コンビニのサークルKも、比叡山ではマークが黒(厳密には濃い茶?)で、おどろきです(私たちは、「黒いサークルK」と呼んでいます)。

    京都は、お寺さんの力が強いから、看板のマークやロゴが控えめにさせられているのでしょうが……もしかしたら、映画館の音量にまで、規制の手が及んでいる?!
    まさかねえ……とは思いますが。

    麦わら帽子のジミーさんのスレッドは、さがして読んでみます。

  • Re: 映画の光と闇

    2007/07/19 by 未登録ユーザ月夜野

    ikaさん

    >THXは、私のよく行くシネコンにもあるようですから、今度は注意して見ます。

    THXはよく誤解されるので釈迦に説法ですが補足を。THXだから音が良いわけではなく、全てのTHX劇場が高品質ということでもありません。形骸化しているような小屋もありますので…ひとつの指標として見るのがいいと思います。THX規格そのものは素晴らしいと私は考えていますが、それに甘んじた劇場も多いのが困りものです。

    劇場の再生レベルについては映写担当者の好みや大家との関係とかいろいろありますので^^;単純に「これくらい」とはなかなか決められないんですね。自分としては基準値に近い範囲で再生されてなおかつ表現力・基本性能の高い上映を望んでいます。

    ちょっと前の書き込みですが以下について

    >「上映時に天地削除のマスクをかけて拡大上映」
    >ずいぶん乱暴なやりかたをするのですね……たしかに
    >「深刻」なのかも……上下の情報が、ないってことじゃないですか。
    >いいのかなあ……

    ビスタビジョンとは似て非なる、いわゆるビスタサイズのことです。上映時にマスクがかかる部分は撮影の時点で画面に映らないことを前提に制作していますから全く問題ありません。1:1.85比率を出すためにわざと天地を削っているのです。シネマスコープのスーパー35も同様ですね。

  • THX?とビスタサイズ?

    2007/07/19 by 未登録ユーザika

    月夜野さん、
    THXについての詳細、ありがとうございます。

    THXというのは、この会社が認定した、一種の上映環境基準のように理解していたのですが……
    「形骸化」といわれることの意味が、ちょっとよくわかりません。
    上映環境基準を満たしていれば、素人考えでは、それでオーケーのように思うのですけれど……
    実際には、数値に表れない部分での調整が必要ということなのでしょうか?
    そうすると……
    「基準」をつくることに、はたして意味があるのか?
    「数値にあらわれない調整」があるとしたら、それはもう現場の人の感覚次第ということで、THX側もモニタできない……
    つまり「認定」の意味がないのでは?
    こういう疑問が浮かんできます。

    私が、THXを根本的に誤解しているのかもしれませんが……

    ビスタサイズについても……
    まったく基本的な疑問で恐縮ですけれど、上映時にマスクをかける部分を、撮影時に前提で撮っているというのは、まったくムダなことをしているようで、理論的には矛盾のように感じます。
    なにか、実際上の理由があるのだろうと思いますが……
    素人考えでは、映らないところをわざわざ、映らないことを前提に撮る……というのは、どういうことなのか……と、やっぱり思ってしまいます。

    要するに、カメラやフィルムの規格の問題ということなのでしょうか?

    初歩的な疑問ですみませんが、よろしく……

  • Re: 映画の光と闇

    2007/07/19 by HJ

    ハイビジョン撮影での映画製作が可能になって、
    ポストプロではなく撮影時に画面の色を作ってしまうことも出来るようになりました。
    天気の悪い日でもフィルターをかけて擬似的な夕景を作ることもあるのですが、
    実際に撮影時の光線を操作するものと、ポストプロで作るものとでは比較にならない差が出ます。
    「嫌われ松子の一生」などは実際に撮影現場で色を作っていったものだそうです。
    CMのスタッフばかりですからね、ワンカットのライティングに数時間かけるなんてあたりまえ。
    真夏の真っ盛りに役者の気力がよくも持続したものです。
    中谷美紀が完成したものを見て、現場の壮絶さが画面に出ていないと驚いたとか。

    それから画面のアスペクト比ですが、これはそれぞれに使う目的が異なって来ます。
    人間ドラマを撮るのに何故スコープじゃない?だとかわけのわからないものが何処かに書いてありましたが、
    1:1.85というビスタのアスペクト比は人間の視野角に最も適した画角ということで決められたものです。
    さらに横に広いスコープは自然などの背景を重視した時に使われるサイズで、
    人物描写に最も適しているとされるサイズがスタンダード・サイズです。
    もちろんすべてのことにあてはまるものではなく、
    製作者の意図によってどのアスペクトで映画を撮るのかが決められるものですが。

    レーザー・ディスクでワイドスクリーン版が登場した頃の笑い話です。
    「明日に向かって撃て」のワイド版が発売になり、あるお店にそのディスクを買いに来たお客さんがいました。
    あいにくその店にはそのワイド版が入荷しておらず、
    店員が「この映画はもともとスタンダードで撮影されたもので、
    ワイドスクリーンはその上下をカットしたものです」と説明していました。
    そのお客さんが古いトリミングされたディスクを買ったかどうかは知りません。
    こういう店で商品を買ってはいけません。w
    その昔あるスコープサイズの映画がテレビ放送された時に、
    テレビ用に左右をカットして放送したというもの。
    実はこの映画、もともとスタンダードで撮られたものを劇場用に上下をカットして上映されたもの。
    それをさらに左右をカットして放送したということは、画面の9分の一ほどしか写らなかったということになります。
    もちろんこんなデタラメはありえない噂でしょうが、
    製作者の意図した構図で作られたものをテレビの都合で左右を切り捨ててしまうなんてのはもってのほかでしょう。
    少し前ではローカルに行くと上下に黒味が出たまま放送すると、テレビが壊れたと電話がかかって来たこともあるそうです。
    テレビの古いプロデューサーの中には画面の上下にマスクがかかることを嫌がる人もいますが、
    小さな画面サイズのものばかりでしたからね、今みたいに大画面テレビなどなかった頃の話です。
    黒澤明監督の映画は左右がカットされて放送されたことはおそらくないはずですよ。
    今でもアメリカではスタンダードとワイドの2種類のソフトが売られていますが、
    これも同じような理由からでしょう。
    ワイド画面の左右がカットされると、監督の意図したものが見えなくなってしまうものです。
    ところがお客さんはそんなことは気にしていない人がほとんどなのかな。

    スーパー35で撮ったスコープの映画では「T2」が有名ですかね、
    おかげでビデオ化の時にはスコープサイズでもトリミングサイズでも、
    それほど違和感を感じませんでした。
    こだわりのジェームズ・キャメロンらしい発想です。
    スタンダードで撮影しておきながら上映時に上下を大きくカットしたものが、
    リドリー・スコットの「ブラック・レイン」で、
    これはスタンダードサイズのビデオの方が、劇場で上映されたものよりも情報量が多いという困った現象が起きました。
    おかげで人物の頭の上の空間がスカスカになってます。
    緊張感を維持するサイズでは人物の頭の上にあまり空間を作らないというルールがあります。
    時には目のすぐ上までフレームで切ってしまったりしますが、
    先に書いた「セブン」でもDVD化に際して、このヘッドスペースと呼ばれる部分の修正をしています。
    専門知識のない人が見ても、知らないうちにこういった製作者の考えた効果を体感しているものです。
    もちろん人によってどれだけ影響されるかは差があるものですが、
    製作者は自分の伝えたいものを極力正確に表現したいものです。
    それで木村大作さんの「抜き打ち劇場チェック」なんてエピソードもあったわけで。

  • Re: 映画の光と闇

    2007/07/19 by 未登録ユーザika

    HJさん、詳しく教えてくださり、ありがとうございます。

    「撮影現場で色を作る」
    これは、具体的にはどうやるのですか?結局、ライティングの問題ということなのでしょうか。
    そうすると、ハイビジョンカメラは感度がいいので、微妙なライティング操作が可能になる……ということになりますが、こういう理解でいいのでしょうか……

    「人間の視野角に最も適した画角」
    人間の目の網膜は、球状だから、本来なら(物理的にのみ考えると)円形のスクリーンが一番自然に見えるように思います。
    にもかかわらず、横長の長方形のスクリーンが「視野角に最も適した画角」となる理屈が、いまいち飲みこめないのですが……
    (これも、初歩的な質問ですみません)

    眼が2つ、横に並んでいるということを考えると、ある程度は横長の……ひらべったい楕円形の視覚野になるのかなあ……とも思います。
    でも、対象との距離が開いていくと、結局両眼の距離はネグレクトされて、円形の視覚野に近づいていくような気がします。
    もっとも、感覚的には、横長長方形の視覚野がぴったりくるというのはわかりますけれど……

    「画面の9分の一ほどしか写らなかったということになります」
    これまた、ものすごい話ですねえ……
    9分の一でもよしとした放送側の態度にも驚きますが……
    それを見て、いちおう見た気になれる(なれたのかな?)視聴者もすごい……
    まあ、人間の視覚野は、中心部分に大量の情報を読みとるコーン細胞が集中しているといいますから、それでもありかもしれませんが……
    逆に、今となっては、「貴重な放送」だったかもしれませんね。
    それにしても、なんでもアリの世界。
    おどろきです……

    「ワイド画面の左右がカットされると、監督の意図したものが見えなくなってしまうものです」
    これはほんとにそうですね。映画館で何遍も見て、見慣れている映画がテレビ放映されたのを見て、かなり違和感を感じることはあります。
    けれども、映画館で一度くらいしか見ていないものについては、左右が切られていても、あまり違和感は感じない……
    これは、監督さんとしては、やっぱりたまらないでしょうね。

    ところで……テレビ放映時に左右をちょんぎる係りの人というのがやっぱりいると思うんですが、これは、どういう人の担当になるのでしょうか。
    映画に詳しく、映画大好きな人じゃないとできない芸当だと思うのですが、そういう人であればあるだけ、カット作業はつらいものになるでしょうし……
    でも、もしかしたら、単に機械的に左右を等分に切っているだけ?
    だとしたら、かなりおそろしいことではあると思います。

    「知らないうちにこういった製作者の考えた効果を体感している」
    それは、そのとおりでしょうね。
    私もその一人ですが、あまり画角は気にせずに見ている人がほとんどではあろうと思います。
    ただ、繰り返し見る……という行為において、画角の問題は、そこはかとなく効いてくるように思います(私自身の体験からいたしますと)。

    「木村大作さんの「抜き打ち劇場チェック」なんてエピソード」
    これは、どういうことでしょうか?

  • ワイドスクリーンの感動!

    2007/07/19 by 夢寝由来

    > あなたの映画の光と闇とは……

    HJさんへ
    私も経験した『本当にあった笑えない話』
    今から15〜16年前、ワイドテレビが売り出された頃、某家電品センターで店員(顔は覚えていないが20代前半男性)との会話
    状況:衛星放送チャップリンの「黄金狂時代」(1925)をワイドテレビでワイドズーム放映していた。
    私“ワイドテレビはこの映画の本来のサイズでの放映に切り替えられる?”
    店員“お客さん、映画館で上映されるのがこのサイズですよ!”
    私“あのね君、この映画が作られた時代は未だワイドスクリーンなんて実用化されてなかったんだよ。それよりさっきの俺の質問『切り替え』はできるの?”
    店員“今までのテレビでは映らなかった左右の画面がこのテレビでは映るんですよ!素直にスゴイと認めて下さいよ!”
    私は溜め息混じりに“ダメだこりゃ”と呟いて店を出た。傍で聞いていた他の客にはこの会話がどう映っただろう?分からず屋の客に説明する仕事熱心な店員かも知れない?映画館で公開される映画は全部ビスタ・サイズと思い込んでいたのだろう。その後その店では乾電池1本買わなかった。

    1:1.85というビスタのアスペクト比は人間の視野角に最も適した画角ということで決められたものです。

    パラマウント社は覆面試写会で1:1.5〜1:2.00までのサイズを刻み11種類のサイズでアンケートを集計して純正ビスタビジョンのサイズは1:1.85が最適と決めたそうです。ロゴマークは英字6番目=中央(VISTAVISION)のVが極端に大きい。たぶん20世紀フォックスのシネマスコープに勝利(VICTOR)だ!Vのかけたジョークではないか?

    レーザー・ディスクでワイドスクリーン版が登場した頃の笑い話です。
    「明日に向かって撃て」のワイド版が発売になり、あるお店にそのディスクを買いに来たお客さんがいました。
    あいにくその店にはそのワイド版が入荷しておらず、
    店員が「この映画はもともとスタンダードで撮影されたもので、
    ワイドスクリーンはその上下をカットしたものです」と説明していました。

    当時のシネスコ・サイズは「ブレード・ランナー」(1982)、「トップ・ガン」(1985)「バック・ドラフト」(1990)はスタンダードで撮影し天地削除のマスクかけて拡大上映する無差別ワイドが多かったから、監督や撮影監督が絵コンテでシネスコ上映を認めていたなら別だが。
    それにしても「明日に向かって撃て!」(1969)を元々スタンダード…などと言った店員はどうしようもないですね。撮影監督のコンラッド・ホールに失礼です。デラックスカラー/パナビジョン方式の本物のシネスコサイズです。1960年代にパナビジョンとポスターに記載されたアメリカ映画は撮影時65mm幅のネガで、焼き付けるポジは映画館の要望で35mmシネスコ又は70mmのどちらでも選択できる方式だったと思います。
    名カメラマン=コンラッド・ホール絡みでの映画「プロフェショナル」(1966)をリバイバルで見た興奮は忘れられません。その時のポスターには【70mm】というステッカーが貼ってあり、ホールは横長大画面でズームを巧みに使いバート・ランカスターが危険なスタントを自分で演じていることをはっきり撮っていました。立体音響(ステレオ)で特に爆破音が反響する迫力…。
    何よりもそれまでテレビ放映の無残に編集された
    (時間/左右画面トリミング/声優:久松保夫)
    「空中ぶらんこ」(1956)等でしか知らなかったが、初めてランカスター本人の早口だが歯切れのよい声を聞いた感動はどう表現すればよいか!!
    私が今まで投稿した映画感想文も≪映画館で見た作品≫と≪ビデオ&DVDでのみ見た作品≫ではかなり温度差があると思います。無論、前者が光で後者は闇だと自己分析で〆ます。

  • Re: 映画の光と闇

    2007/07/20 by 未登録ユーザ月夜野

    ikaさん

    THXについて今ここで文章でご説明するのは難しいのでかなり端折りますが、これも改めてブログでご紹介しようと思っております。

    >THXというのは、この会社が認定した、一種の
    >上映環境基準のように理解していたのですが……
    >「形骸化」といわれることの意味が、ちょっとよくわかりません。

    THX規格のご認識として、上映環境基準であるというのはその通りで間違いありません。

    >上映環境基準を満たしていれば、素人考えでは、
    >それでオーケーのように思うのですけれど……

    ここが要点です。THXの認定を受けている劇場が厳しい管理基準をパスしていることは事実です。ただそれはパスをしているだけであって、基準内でどれくらいのレベルを目指すかは劇場に委ねられています。乱暴な言い方ですがTHXは「THXが定める最低基準は証明するけど、あとは映画館次第ですよ」という規格なのです。技術とお金をかければ良いTHXになり、逆だと並のTHXになるんですね。

    たとえばです。地震に強い耐震性能の優れたビルを2棟造るとします。1つは耐震設計構造で1つは免震設計構造にして、どちらも国の耐震基準を満たしています。実際には同じ耐震基準に合格していても、その耐震対策方法や施工の良し悪しで実際の性能は大きく変わりますよね。施工や管理が悪いと本来の耐震性能を発揮できないことでしょう。

    THXも同じなんです。THXの基準を満たすことで良しにしてしまうのと、基準内でハイレベルを目指したものとは同じTHX認定劇場でも出来が全く違います。この違いは映像と音響の性能に大きく影響してきますが、よほど音や映像にこだわる方でないと区別は付かないかもしれません。
    はっきり言えるのは「THXだから最高ということはあり得ないし最高品質基準でもないが、極めれば極上の劇場が造れる」ということです。

    そのためikaさんが仰るように「上映環境基準を満たしていれば、素人考えでは、それでオーケーのように思うのですけれど……」というのは厳密に言うと良くないことです。規格に通ればTHX認定は得られますが、それが本当に本来のTHXの映写環境を提供できているかは別問題といえます。

    >実際には、数値に表れない部分での調整が必要ということなのでしょうか?
    >そうすると……
    >「基準」をつくることに、はたして意味があるのか?

    数値で表せない点は数多くあります。音や画は生きものと同じです。数値だけではコントロールできません。

    THXにもピンからキリまであるということですね。THXの規格を満たすことも劇場設計技術が向上した現在は比較的容易になりました。シネコンは技術を蓄積したので脱THXの方針をとっていますよね。今は非認定劇場でも並のTHXに匹敵する性能を持っているところが少なくありませんが、THXは高めていけばとんでもない性能を持つ劇場を造ることができる規格でもあります。残念なことにTHXの真価を体現した映画館はごく少数しかないですけど…。

    おおざっぱな記述ですが何となくでもニュアンスが伝われば幸いです。

    >ビスタサイズについても……
    >まったく基本的な疑問で恐縮ですけれど、上映時にマスクをかける部分を、
    >撮影時に前提で撮っているというのは、まったくムダなことをしているようで、
    >理論的には矛盾のように感じます。

    ぜひ写真のネガをご覧ください。35mmスチールの画面は24mm×36mmで映画のスタンダードサイズにやや近い比率です。ここでは映画の撮影フィルムも同じと考えてください。
    この写真の画像をビスタサイズ1:1.85にするには上下を切り取るのが最も簡便ですよね?ビスタビジョンは2コマを使って圧縮する手法で贅沢なシステムでしたが、スタンダード比率の1コマを横長にするためにこのような手法が取られています。矛盾でも何でもありません。そうすれば35mm画面をフルに使っておきながら一部を切り出して擬似的にシネスコサイズを作り出すスーパー35mmは全くの無駄になってしまいます。

    実際にマスクで隠される部分はマイクだとか照明だとか絶対にスクリーンに映ってはいけないものが映りこんでいます。撮影時に上下をカットすることを前提で撮影することで横長のビスタサイズを実現しているからです。

  • Re: 映画の光と闇

    2007/07/20 by HJ

    >夢寝由来さん
    何処にも笑うに笑えない店員がいるのですね。
    今でも勉強不足でまともにお客の質問に答えられない店員がいますよね。

    >ikaさん
    「木村大作さんの「抜き打ち劇場チェック」なんてエピソード」
    これは、どういうことでしょうか?

    7/12付けで僕が書いたものです。

    丸いスクリーンというのは面白いですね、
    まるでプラネタリウムのような感じでしょうか。
    人間の視野角に適したと書いたのはあくまでもスクリーンの縦横の比率に対してのもので、
    人間工学的な考え方からすればこういう説明は成り立たなくなってしまうでしょう。
    映画は見る人の感性によって受ける印象も違って来るものです。
    詳しく説明されなければ理解出来ない人もいるだろうし、
    説明されなくとも映画の行間をちゃんと読める人もいますよね。
    ikaさんも「バベル」なんかとても面白い解釈をしてましたよね?

    「撮影現場で色を作る」ですが、
    ビデオカメラはアイリスや色のレベルを現場で調整することが可能で、
    クロマ・レベル(色の濃度)も自在に変えられるし、
    フィルターを換えて全体的に青いトーンだとか赤いトーンも作りながら確認出来てしまうのです。
    ようするに今撮影している映像をモニターで確認出来てしまうということです。
    フィルムでは現像段階かポストプロでの作業に頼らざるを得ません。
    またカメラの感度がいいからと屋内の撮影などで、あまりライトを当てないのも考えものです。
    被写体には十分にライトを当てて絞り込むことで十分な発色を得られるものです。
    日本映画などによく見られるのは、カポックなどによる間接照明に頼り絞りを開けてしまったもので、
    それで全体的にアンダーでぼんやりした発色の悪い映像になってしまいます。
    暗い室内のシーンだから暗く作るのではなく、ライトを当てて絞り込みコントラストを高めに作ることで画面にメリハリが出るものです。
    天気の悪い日に花のアップを撮ったとして、
    安易に絞りを開けて撮ったものと、ライトを当てて撮ったものはまったく色が違うし、
    映像が与える印象も違って来るものです。
    光を作り出すということはまだまだポストプロでは難しい作業ではないでしょうか。
    実際に夕景などの時間の限られた撮影をするのに、
    現実的にはシーンを撮りきるだけの時間がないものです。
    それこそ中島哲也組ではワンカットも撮ることが出来ないでしょうね。
    それでカメラ前にフィルターをかけて撮影したり、ポストプロでアンバーに転がして擬似的な夕景を作ってしまうのです。
    太陽光が射してないのに画面だけ赤っぽい映像を見ることもあるはずです。
    人間は夕方の時間は光が赤いと思っていることを利用したトリックのようなものです。

    映画のテレビ放送に際して画目の左右をトリミングする指示は、
    演出とクレジットされている人が出すのではないでしょうか。
    たんにテレビでは上下に黒い部分が出てはいけないという考え方だけで判断しているのかも知れません。
    昔スコープの映画が放送されると、単純に画面の左右を切っていたもので、
    意図的に人物が左右に配置された映画では、放送時に真ん中の空っぽのフレームがそのまま写っていたことも珍しくありませんでした。
    クレジットが流れる部分だけスコープを縦に縮めてしまって、
    細長い人物が延々と放送されていることもありました。
    少し気の利いたテレビの演出担当が出てくると、
    スコープの中の台詞を話している人物をトリミングして放送するようになりましたが、
    実は必ずしも台詞を話している人物の表情が大事なわけではなくて、
    話を聞いている人物のリアクションの方が大切なことがあるものです。
    このリアクションを撮るのが日本の映画やドラマでは弱い部分ですね。
    助監督の出した拳に向かって演技するのだから無理もありませんが。
    某荒れたスレッドの映画の演出ですが、
    まさか泣くとは思わなかった人物がポロリと涙を流すことで見ている人も感情を動かされるものです。

    日本も戦時中は使えるフィルムの尺を決められていたということです。
    それなのにアメリカでは「風と共に去りぬ」のような映画が作られていたのだから驚くばかりです。
    黒澤さんが旧ソ連で撮った「デルス・ウザーラ」の話ですが、
    1日に撮影するフィルムの分量を決めてしまえば、
    製作日数もおのずと決まるという無茶苦茶な考えで映画を作っていたそうです。
    ようするに1日10分の尺を撮影してしまえば、2時間の映画は2週間ほどでクランクアップするというものです。
    それなのに現像に失敗するなど日常茶飯事だったそうで、せっかく撮影したものを再度撮影することも少なくなかったそうです。
    黒澤さんも「トラトラトラ」の経験があったから、劣悪な旧ソ連の製作体制にもじっと耐えたとか。
    70mmで最後に撮られた映画って何でしょうかね?
    ロン・ハワードの「遥かなる大地へ」でしょうか。

  • Re: 映画の光と闇

    2007/07/20 by 未登録ユーザika

    Baadさん、

    「麦わら帽子のジミーさんのスレッド」が見つかりました。
    読み始めてみますと……なんと、以前に読んだことのあるスレッドでした。
    月夜野さんのHPも、ここから知ったのです。
    最近、同じ本を2度買ったりとか、同じDVDを2度借りたり(はじめてと思って)とか、多いです。
    脳の行く末が、不安です……


    夢寝由来さん、

    「素直にスゴイと認めて下さいよ!」
    スゴイ店員……
    でも、家電量販店でも、ときどきものすごく詳しい人もいて唖然とします。
    オーディオでしたが、一度、そういう人に会いました。
    お店の利益にならないようなことでも、平気でどんどん教えてくれます。
    そういう人がいると、じゃあ、この店で買おう……ということになります(結局、お店の利益になっているのかも)。
    こういう店員さんは、「店の光」ですね。
    (素直にスゴイと認めて下さいよ!……なんていう方は、お店の闇……?)

    「パラマウント社の覆面試写会」
    そういうことでしたか。世に黄金比(1:1.619)と呼ばれる数値よりも、少し横長を、みなさん好まれたということですね。
    アンケート対象は、アメリカ人だったのでしょうが、日本でやってみると違う結果になるということはないでしょうか……やってみたことはあるのかなあ……もし日本では違う結果が出たとしたら、国民性というのか民族性みたいなものも絡んでくるわけで、面白いかもしれませんね。

    いずれにせよ(どういう縦横比においても)、画面は、360°の現実をある範囲でトリミングすることになるから、そのトリミングに関しても、なんらかの「創作性」みたいなものは生まれてくるであろうと思います。

    日本だと、掛け軸のような、縦が長い画角のバージョンもあるわけですが、こういう画角の映画というのは見たことがありませんね……これは、ちょっと考えられなかったのでしょうか。それとも、誰かが撮っていたけれど、評判が悪くてお蔵入りになったのか……

    世界のいろんな地域における絵画や建築物などの縦横比と、その国の人に好まれる映画画面の縦横比の関連など、調べてみたら、面白いかもしれません。

    スクリーンの、光が当たっている四角い部分は、縦横比がいずれであろうと「光」ですね。これに対して、映画館の他の部分は「闇」に沈んでいます。人は、どうしても「光」の部分にひきつけられるから、上映中はその部分が「光」となりますが……ひねくれた人がいて、「光」のスクリーン部分にはあまり関心を示さず、「暗闇」の部分にもっぱら注意して映画を見る……ということがあり得るのか……上映中にぐっすり寝込んでしまっている人は、自ら「全闇」を創りだしているわけだから、その範疇かもしれません……。


    月夜野さん、

    THXについての詳しいレスをありがとうございました。今まで、あまり注意して見てこなかったのですが、これからは注意して見ようと思います。

    「技術とお金をかければ良いTHXになり、逆だと並のTHXになる」
    なるほど……THXにも松竹梅が……(お寿司屋さんみたい)。でも、観客には、今自分が見ているTHXが松竹梅のどのクラスなのかは、表示されていない限りわからないから、どのクラスのTHXでも、THXだと書いてあれば、そう思って見ちゃうわけですね。

    THXのランクを、松竹梅ではなくても、なんらかの形で表示できると、見る方もよくわかるし、また映画館側も力が入る(力のいれがいがある)のではないかと思いました。

    「シネコンは技術を蓄積したので脱THXの方針を」
    ということは、THXの基準には関係なく、良い上映環境を造れるノウハウが蓄積されてきたということですか。

    まあ、観客側にとっては、「ああ、見てよかった」と思えれば一番いいわけですが……正直いいまして、私のような「ふつうの観客」には、いろいろな基準の意味があまりよくわからないので、やっぱり見たときの直感で、「いい映画館だったなあ」とか「ここはちょっと問題ありでは」とか、判断してしまいます。そして、これには、このサイトのような口コミの作用も大きいと思います。

    技術はますます進歩するのでしょうが……アーサー・クラークでしたか、「テクノロジーが進化すると、それは魔法と見分けがつかなくなる」なんてことをいっていた人もいるようです。まあ、私のようなふつうのお客さんは、おそらく映画館には「魔法にかけてもらおう」と思ってきている人が多いのではないかと思います。映写環境について熟知している人の満足要件と、ごくふつうのお客さんの満足要件は、やっぱり微妙に異なるのではないでしょうか?
    そのあたりは、実際にお仕事をされておられる中で、やっぱり感じられることでしょうか……?

    ビスタサイズについても詳しくご説明いただき、ありがとうございました。結局、撮影フィルムの規格(ということは、上映時の映写機の規格に連動)からきていると考えてよいみたいですね。ありがとうございました。


    HJさん、

    「撮影現場で色を作る」のご説明、大変よくわかりました。ようするに、ビデオカメラとモニタを連動させて、「色を作る」ということだったのですね。

    「被写体には十分にライトを当てて絞り込むことで十分な発色を得られる」
    なるほど。それで、映画の画面は、あれだけ光が豊富に感じるということなのですね(たとえ暗いシーンでも)。納得です。
    「擬似的な夕景」……たしかに、不自然だなあと感じられる夕景が、今までの記憶でもありました。これから、注意してみてみるようにします。(こういうお客さんが増えてくると、製作側も困るでしょうね。でも、それが、さらなる技術の進歩を促す……ということでしょうか)

    「放送時に真ん中の空っぽのフレームがそのまま写っていたことも珍しくありませんでした。」
    そうでしたか!それはちょっとひどいですね。私は気がつきませんでしたが……。

    「実は必ずしも台詞を話している人物の表情が大事なわけではなくて、話を聞いている人物のリアクションの方が大切なことがあるものです。」
    これについては、私もそう思います。トリミング担当者が、どれだけその映画を良く理解しているかが試されますね。

    「70mmで最後に撮られた映画」
    ということは、今はもう70mmで映画を撮る人はいない……ということですか。なんだか寂しい話ですね……
    世の中、重厚長大は嫌われる風潮にありますが、映画の世界にもその波は及んできている……ということですか。CG技術でちまちま作られる作品が多くなってくると、なんか、映画の大切な要素であった「誇大妄想王国」みたいなものがなくなってしまうようで、さみしい気はします。

    国力がどんどん衰えはじめている日本なんかでは、その傾向はとくに強いのかもしれませんが、これからどんどん膨張していく中国なんかでは、どうなんでしょうか……「誇大妄想的映画の夢」は、経済のいいところにどんどん受け渡されていくような気も、いたします。

  • Re: 映画の光と闇

    2007/07/20 by 未登録ユーザ月夜野

    HJさん

    >少し気の利いたテレビの演出担当が出てくると、
    >スコープの中の台詞を話している人物をトリミングして放送するようになりましたが

    日本は分かりませんがハリウッドでは映画撮影時にテレビ放送やパッケージ化のことを考えて、左右をトリミングされてもなるべくイメージを損なわない画面構成を考える専門家がいます。監督や撮影監督と話し合って、4:3テレビで放映されることを前提に撮影しているわけです。スーパー35方式で例に挙げられていた「ターミネーター2」もこの工夫が凝らされた映画です。キーとなるものはなるべくカットされにくい部分に配置して撮影していますね。

    皆様の撮影方法や画面方式の見識の深さは恐れ入ります。勉強になります。


    ikaさん

    >世界のいろんな地域における絵画や建築物などの縦横比と、
    >その国の人に好まれる映画画面の縦横比の関連など、
    >調べてみたら、面白いかもしれません。

    おもしろそうですね。画面比率文化論ですね。屏風絵などは大パノラマですし、巻物も画面構成がおもしろいですよね。これは奥が深そうな話題です。

    >スクリーンの、光が当たっている四角い部分は、縦横比が
    >いずれであろうと「光」ですね。これに対して、
    >映画館の他の部分は「闇」に沈んでいます。人は、どうしても
    >「光」の部分にひきつけられるから、上映中はその部分が「光」となりますが
    >ひねくれた人がいて、「光」のスクリーン部分にはあまり関心を示さず、
    >「暗闇」の部分にもっぱら注意して映画を見る……ということがあり得るのか……

    はい(ToT)/ ひねくれた人です。
    いえ、もちろん光の部分にいちばんの関心は示しますけど、映画館の壁や天井にも興味があります。作品とは別に映画館の設備に興味があるゆえの行動で、作品鑑賞とは関係のないところだと思いますが。壁や天井の素材や色によってこの闇が千変万化するのです。映写性能にも関わる部分ですし興味があるところです。
    以前にこの掲示板でも荒れていましたが…
    ttp://www.eigaseikatu.com/com/0/255935/

    あと撮影技法でも主題を浮き上がらせるためにレンズの絞りを浅くして背景や手前をぼかすことがありますが、このときも敢えてぼかされたほうを注視することがあります。人間の視覚は遠景を見る際はパンフォーカスで、近景は主題を注視する傾向があります。いまパソコンの画面をご覧になっているアナタも、たぶんたいていは画面周囲のぼけている部分には留意されていないことでしょう。
    周囲をぼかすのは映像や写真や絵画などの独特の表現方法で、日常生活の視野では意識されません。だからこそ映画ではそのぼけの表現や意図が興味深くて凝視してしまうことがあります。

    ここからはTHX。

    >観客には、今自分が見ているTHXが松竹梅のどのクラスなのかは、
    >表示されていない限りわからないから、どのクラスのTHXでも、
    >THXだと書いてあれば、そう思って見ちゃうわけですね。
    >THXのランクを、松竹梅ではなくても、なんらかの形で表示できると、
    >見る方もよくわかるし、また映画館側も力が入る
    >(力のいれがいがある)のではないかと思いました。

    Home THXと違ってTHX CINEMAにはランクが存在しません。認定が通ればTHX認証を得られ、そのなかの優劣は(名目上は)存在していません。
    THX CINEMAでも上位クラスと現行クラスに分けるなどの施策があってもおもしろいと思いますが、基準を高くすれば映画館にとっての制約や自由度も相対的に下がるので難しいのでしょうね。

    >「シネコンは技術を蓄積したので脱THXの方針を」
    >ということは、THXの基準には関係なく、良い上映環境を造れる
    >ノウハウが蓄積されてきたということですか。

    ほとんどの上映環境はTHXをベースにして構築されています。THXは映画規格のスタンダードなので、その思想に沿っていればとりあえず間違いはないわけです。
    脱THXの理由はTHX認定を前提に設計するとTHXの規格に収めたり機材の選定が限られたりと映画館独自の自由な設計が事実上不可能なこと、THXがルーカス・フィルムから分離されたことでブランド力が下がったことも一因ですね。

    ここで申し上げておきたいのはTHXは世界統一基準で審査をしているので規格の客観性があることです。映画館が独自に行っている規格は、悪い言い方になりますが審査指標や外部からのチェックがないのでどこまでの基準をクリアしているのか自己申告を信じるしかありません。客観的な設計基準を証明するという点ではTHXは今も第一線で生きている規格だと思います。

    >映写環境について熟知している人の満足要件と、ごくふつうの
    >お客さんの満足要件は、やっぱり微妙に異なるのではないでしょうか?
    >そのあたりは、実際にお仕事をされておられる中で、
    >やっぱり感じられることでしょうか……?

    感じますね。THXの知名度も若い人を中心に意外に高く、「ここはTHXシアターだから音が良いんだ」と認識されている方も大勢いらっしゃいます。そして「THXだから音が良い」と信じている方も多いです。繰り返しですがTHXだから音が良いというのはないですし、設計や運用で大きく変化します。同じTHX認定館同士で同じ音響を再生する劇場は2つとありませんし…。
    THXへの誤解や誤った認識も多く見受けられます。これもいつかは拙サイトで取り上げられたらと思っております。

    映写環境にこだわるようになると、多数のお客様の満足用件とは内容が異なってくるのはありますね。いろいろな方から各地の劇場の音響の評判などを聞きますが、その人の好みや経験の度合い、はては知識量で重視するところが全然違います。ここで劇場の性能をはかる項目をいくつか挙げてみます。

    ・重低音やサラウンド感の多少を把握する
    ・重低音や全体音声のキレを把握する
    ・音漏れや箱の剛性を把握する
    ・暗騒音を理解する
    ・映像の明るさやフォーカスの差が分かる
    ・場内の暗黒度、場内反射の多少を把握する
    ・台詞のリアリティや肉声感の感じ方
    ・ソースに対する箱の味付け・個性の吟味
    ・サラウンドチャンネルとフロントチャンネルのマッチング
    ・フロントの立体感およびディスクリート感の認識
    ・周波数帯域による干渉や増幅の見極め
    ・映写機設置や画面調整の精度
    ・サラウンドチャンネルの反射と吸音のバランス確認
    ・席の位置、箱の形状、観客数等による音声品質の差の認識
    ・ドルビーレベルおよび全体レベルの精度
    ・映写機の回転数とラウフラッター、キセノンの品質
    ・劇場支持構造の技術レベル
    まだまだ続くetc…。

    いろいろ挙げましたが下に行くほどマニアックなチェック項目になっていると思います。大多数の人は低音の迫力やサラウンド感の多少などは実感しても箱の個性や場内反射などは意識されていないと思います。する必要もないでしょう。職業病というか知らなくて良いところまで気になってしまうのですね。

    話は戻りますがTHXでも箱によって個性があり性能差もあり優劣があります。その違いが何によって生じているかはある程度の知識がないと気づきにくいと思います。現在の映画館は本当に設備が良くなって私みたいに偏狂にこだわらなければどこでも音響は満足のいく映写が行われているのではないでしょうか。
    最高映写水準の映画館はほとんどなく、それはそれで良いと考えています。ルーカス・フィルムの試写室のような桁違いの性能は不要だと思っていますから。最高ではなくてもそれに近い映画館がいっぱいありますからね。無論、試写室などは設計段階から商業映画館とは違うレベルでスタートしますから差があって当然なのですが…^^;

  • 巨匠も闇を経験

    2007/07/20 by 夢寝由来

    > あなたの映画の光と闇とは……

    HJさんへ

    黒澤さんが旧ソ連で撮った「デルス・ウザーラ」の話ですが、(失礼!中略します)せっかく撮影したものを再度撮影することも少なくなかったそうです。
    黒澤さんも「トラトラトラ」の経験があったから、劣悪な旧ソ連の製作体制にもじっと耐えたとか。

    1974年に映画情報誌[スクリーン]に載っていた情報と全く違うのに驚いています。
    “黒澤明監督がソビエトの全面協力で無制限の予算と撮影日数で描く待望の新作”と紹介してあったはずです。あれは旧ソ連映画界というより国が日本に対して強要した宣伝文句だったのでしょうか?
    クランクイン前、主人公の人選で三船敏郎の噂がでて10年ぶりのコンビ復活か!?は実現しなかった。そのせいか俳優では宣伝にならないと判断したのでしょう?!ポスターは黒澤監督の大きな写真でした。70mmの表示がありましたが…
    劇場で見ましたが、吹雪のシーンしか印象に残っていない作品でした。アメリカでアカデミー外国語映画賞を受賞したが、これも映画を政治(犬猿の仲の国のうわべだけの仲直り)に利用した印象しかありません。太田光さんの如き“黒澤明なら全部傑作だ”というファンの方々は気分を害されるかもしれないが、カラー映画になった黒澤明監督作品には採点していないし、つい辛辣な感想になってしまいます。

    70mmで最後に撮られた映画って何でしょうかね?

    平凡社の百科事典によるとデビッド・リーン監督の「ライアンの娘」とあります。リーンは「戦場にかける橋」(1957)で初めてカラー・シネマスコープを使って以来、計3本の70mm超大作を発表しています。70mmを大きいだけの見世物から芸術に格上げした巨匠と呼ばれてました。日本ではリーンというだけでホメ殺しでしたが、海外では「アラビアのロレンス」や「ドクトル・ジバゴ」に比べて評価は大変低くその後13年間沈黙状態でした。

    ロン・ハワードの「遥かなる大地へ」でしょうか。

    これは1992年に70mm復活第1弾ですが、その後やはり普及しなかったようです。

    反省:今回はネガティブ「闇」情報ばかりでした。

  • Re: 映画の光と闇 ネタバレ

    2007/07/21 by HJ

    月夜野さん

    上映時にマスクをかけることで思い出しましたが、
    「カーリー・スー」を見た時に画面の上の方にマイクが見切れてたことがあります。
    映画が始まって最初のカットだったような記憶があるのですが、
    かなり目についたので驚いたことがあります。
    後のビデオ化のことを考えるとありえないような気もするのですが、
    マイクや照明が見切れたままのプリントを渡されることがあるのでしょうか?
    「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の1作目が、
    輸入レーザーで初めてワイドスクリーンで発売された当時、いち早くこれを手に入れて見たのですが、
    これがなんとスタンダードの上下をカットしただけのものでした。
    ようするにビデオリリースが全盛期を迎えるにあたって、
    最初からスタンダードサイズでの収録も考えていた撮影だったのですね。

    それから被写界深度を浅くして手前、あるいは後ろに写る人物をボカして見せておきながら、
    観客はそのボケた人物に注目するという手法を見せた映画がありました。
    これもロバート・ゼメキスの「フォレスト・ガンプ」なのですが、
    ガンプ少年に今のステップを見せろと言って背後にボケたエルヴィス・プレスリーが写りましたね。
    もちろん本物が写っているわけではないのに、
    プレスリーを知る人ならば誰もがそのボケて写っている人物を凝視したのではないでしょうか。
    ゼメキスはデビュー作の「抱きしめたい」でもモニターに写るビートルズの映像の向こうに、
    ビートルズに扮した俳優の足元などを見せるなどの面白いトリックを使ってます。
    「ロジャー・ラビット」でもアニメのジェシカ・ラビットが、
    実写のボブ・ホスキンスのネクタイを引っ張るシーンがありましたが、
    これも手だけが実際の人間の手だったりと、意外に簡単なアイデアで驚かせてくれたものです。
    今なら予算にまかせて大掛かりなCGやアクションに頼ってしまう映画ばかりですが、
    SFXがまだそれほど発達していなかった80年代に登場した監督の中には、
    アナログな手法で面白いものを見せてくれる人が多かったように感じます。
    「ネバー・エンディング・ストーリー」のタイトルバックの雲も水槽に溶かした絵の具のようなものだったとか。

    >夢寝由来さん

    73年当時のスクリーンならば、それこそ世界のクロサワがついに外国で映画を作った、と書きたてたのでしょうね。
    僕も当時のこの映画に対する評価をしっかりと記憶しているわけではありませんが、
    メディアが観客に伝えるのは映画の光の部分なのかも知れません。
    「黒澤明VSハリウッド」という本が出版されてますが、
    ここには今でこそ書ける「トラトラトラ」の闇の部分を読むことが出来ます。
    黒澤明を天皇ともてはやし、監督自身もハリウッドの山のような契約書の中身を理解せずに、
    自分が日米双方の撮影したフィルムの総監督であると勘違いしていたことで起こった悲劇が克明に書かれてあります。
    プロデューサーであったエルモ・ウィリアムスへの取材や、
    同じ頃に別の作品で山本五十六を演じた三船さんのことや、
    黒澤監督がアメリカ側の監督であるリチャード・フライシャーに抱いていた思いなど、
    読み始めると止まらない面白さです。
    「デルス・ウザーラ」での実際の撮影の話も何かの本で読んだものです、
    ここには長年黒澤監督の元でスクリプターとして活躍した野上照代さんのコメントなどもあり、
    実際に現場にいた人の話ほど面白く読めるものはありません。
    お客として見せられる映画が光ならば、製作の現場は時として先が見えない闇になることもあります。
    残念なことに本の題名を忘れてしまいました。

    「デルス・ウザーラ」だけではなく、カラーで撮影された黒澤作品を評価しない人は残念ながら多いようですね。
    僕もすべての黒澤作品がすばらしいとは思っていませんし、
    とくに晩年の作品は目を覆いたくなるようなものもあります。
    人間、誰にも衰えがくることは仕方のないことです。
    先日「椿三十郎」のリメイク版の予告を見ましたが、
    どうしても三船さんを重ねて見てしまいますからね、どんなものが出来上がってくるのやらです。
    余談ながら僕はユーリー・サローミンさんのサインを貰いました。w

  • お詫びと訂正

    2007/07/21 by 夢寝由来

    あなたの映画の光と闇とは……

    7/19の私のレス“当時のシネスコ・サイズは「ブレード・ランナー」(1982)、「トップ・ガン」(1985)「バック・ドラフト」(1990)はスタンダードで撮影し天地削除のマスクかけて拡大上映する無差別ワイドが多かった”と言うのは明らかに認識不足からくる不適切な表現だった事を痛感します。
    HJさんのレス“スーパー35で撮ったスコープの映画では「T2」が有名ですかね、おかげでビデオ化の時にはスコープサイズでもトリミングサイズでも、それほど違和感を感じませんでした。”を読み直して気づきました。
    スーパー35mmは1950年代中期に登場したスーパースコープ(縦:横=1:2)と同じ方式でしょうか?題1作「ヴェラクルス」(1954:撮影アーネスト・ラズロ)は当時全米は元より世界市場の劇場は全てアナモレンズを装備したシネスコ上映が出来た状態ではなかったのでワイドとスタンダードの両方上映可能な方式だったようです。アナモ普及に伴い終了したようです。
    無差別ワイドとは1954年以前の作品例えば「風と共に去りぬ」(1939)た「誰がために鐘は鳴る」(1943)をリバイバル公開時に配給会社が(もう製作者は他界しているから)勝手に天地削除で(やりすぎるといけないので)縦:横=1・1.66のヨーロッパビスタサイズで公開した事を言います。

    ≪予告編≫次回はテクニスコープについて

  • Re: 映画の光と闇

    2007/07/21 by 未登録ユーザika

    月夜野さん、

    再度、詳しく教えていただき、ありがとうございます。

    「画面比率文化論」……

    日本画の世界では、縦軸で空間を、横軸で時間を、それぞれ表しますね。
    縦軸では、上に描かれたものほど遠くにあり、下に描かれたものは近いというお約束……
    横軸では、向かって右が過去であり、向かって左は未来。
    絵巻物など、もろにこのお約束で展開しますし、屏風絵や襖絵でもそうだと思います。

    これに対し、西洋画では、やはり横軸で時間を表すが、向かって右が未来、向かって左は過去と、日本画の場合とは軸性が反転しています。
    これは……日本の文章は、縦書きで、右から左に向かって書いていくが、あちらの文章は横書きで、左から右に向かって書いていく……ということが関係しているように感じます。
    アラビア語やヘブライ語なんかは、横書きですが、右から左へ書くといいますから……この文化では、画面横軸の時間性の捉え方は、日本と同じかもしれません。

    一方、縦軸に関しては、西洋画でもいちおう、遠いところのものは上に、近いものは下に描きますけれども、日本みたいにそれでもろに遠近法にする……ということまではいかないようです。(別に、透視図法という立派な?遠近法があるので)
    日本では、掛け軸みたいに極端に縦長の画面が一般的にあるけれど、西洋画では、それは特殊なケースである……という理由は、そのあたりにあるのかもしれません。
    むしろ、西洋画では、上は天上界、下は地上の世界……という、宗教的な意味づけの方が効いているようですね。

    映画は、欧米的な文脈のもとに展開されてきた芸術でしょうから、西洋画的な縦軸、横軸の考え方が残留している可能性は、充分にあるんじゃないかと感じます。
    ただ、映画の場合には、時間軸を、もろに「映写」という時間性によって表現することができるので、時間性は、映写の時間性に乗っかってしまっている……ということもいえるのかなと思います。
    いわば、映画における時間性は、画面に対して垂直方向に入っていて……画面の展開につれて、手前から奥に向かって進んでいくように……私には、感じられます。

    また、映画においては、撮影時に、カメラの位置や向きを変えられる……というのも、大きな要素ですね。
    縦がほとんどない画面でも、カメラを下から上に、あるいは上から下に動かすことによって、「縦長の」画面を作り出すことができますし、左右においてもそうです。
    こういうところを考えますと、縦横比の話でも、それはあんまり厳密にはならなくて、カメラの動かし方次第で相当程度にカバーできてしまう領域のようにも感じます。

    それよりも、むしろ、私は、作品上における時間性と、実際の映写という現象における時間性の問題に、なにか根源的な「映画の構造」に関連していくようなものを感じるのですが……この問題は、かなり複雑になりそうですし、論じるだけの能力もありませんので、ここらでやめておきます。
    画面比率文化論……というのも、なにか奥深い気がしますが……ほんとに、ちゃんとやってみると面白いのかもしれません。
    なにか明晰さを欠いた、わかりづらい文章になってしまい、失礼しました。


    「映画館の壁や天井」……

    私も、別に専門家ではないですが、興味はあります。別のところでも書きましたが、こどもの頃に親につれていってもらった劇場では、映写開始の前に、天井に並んでいるライトが、一斉に消えずに、奥の方から(たしか奥からだったと思う)順番に消えていくようにつくってありました。これがまた、「いよいよはじまるぞ」というワクワク感を増強して、大変効果的だった覚えがあります……。こういったことは、映写性能とは関係のないことかもしれないけれど、なにか設計者の方が、「映画の始まる前のワクワク感」というものをよく知っておられたような気がして、とてもお洒落だな……という印象になって残っています。

    今のシネコンで思うのは、昔の劇場よりも、ずっと壁や天井や床の色を暗くしている……ということですね。これは、おっしゃるように、映写時の画面の明暗や色彩表現に、大きな影響を持つものでしょう。
    ところで……これに関連して少し気になるのは、観客の服の色ですね。当然、夏は白っぽく、冬は黒っぽくなるでしょうが、満員に近い人たちのほとんどが白っぽい服装の場合、画面に、見てわかるほどの影響が出るものでしょうか……
    音響の場合には、やっぱり人の入り具合というものは、大きく影響すると思いますが、服装でもあるのかなあ……ちょっと、気になりました。


    「周囲をぼかす」……

    昔、視覚の本で、人間の眼が高解像度を保てる(文字が読める)のは、実は、視覚中心のほんの狭い範囲である……ということを読んだおぼえがあります。つまり……文字数でいうとほんとに数文字くらいの範囲で……その周辺は、がくっと解像度が下がってぼけた映像になっているそうです。にもかかわらず、人が本を読めるのは、眼球や顔の運動と、脳内の補完作用によるものだと……。
    そういうことであれば、実は、映画を見ている際にも、眼の方でほんとに高い解像度を出せるのは、広大なスクリーンのごく一部かもしれませんね。

    ということは……これを逆手にとって? 中心部分をぼかして、周辺部分にいくにしたがってくっきりはっきりと映っている……という映画を作ることもできるということになりますね。もっともそんな変な映画は、できたとしても、だれも見ようとはしないと思いますが……実験作品としては、面白いと思います。……肝心の主題部分はボケボケで、どうでもいいような周辺部分にものすごくこだわって、これでもかというくらいに詳細に表現した映画……いっぺん見てみたいような気はします。

    時間性においても、もしかしたらこのことは可能なのかもしれませんね。テーマ部分の時間性はものすごく厳密に進むけれども、周辺部分にいくにしたがってどんどんあいまいになって、過去も未来も現在も定かではなくなる……あるいは逆に、周辺部分の時間性はものすごく厳密に保たれているのに、主題部分にいくにしたがって時間性があいまいになり、とうとう過去も現在も未来もわからなくなる……いや、これは、もしかしたら「ボケ」といわれる症状に近いのかもしれません(私は最近そうです)。

    また、色彩においてもそれは可能ではないでしょうか。主題部分はものすごく鮮やかなカラーなのに、周辺部分にいくほど色味が失われてモノクロームになってしまう映画……あるいは、それとはまったく逆になっている映画……いろいろ考えられます。ものの大きさとか、テクスチャの表現とか……あるいはまた、テーマ部分にいくほどスローモーションになっている映画とか(これは、時間性の操作?)ただ、こういうものが、お客さんに「心地よい」ものになるのかどうかはわかりませんけど……


    「THX」……

    Home THXという言葉は、はじめてききました。ようするに、ホームシアターのTHX規格……ということでしょうか?ちょっとよくわからないのですが…… ホームシアターなら、お客さんからお金を取って見せるわけではないから、そういう規格というものは、果たして誰のためにあることになるのでしょうか?

    「THXがルーカス・フィルムから分離されたことでブランド力が下がった」 ……ということは、今はルーカス・フィルムとは無関係ということですか。私は、 THXといえばルーカス……というふうに、条件反射的になっちゃっておりましたが……いずれにせよ、私の場合、今まであまり意識的に見たということがなかったので、今後はちょっと注意して見るようにしてみます。

    お話しをきいておりますと、なんとなくパソコンにおけるウィンドウズのような印象もあります。確かに、世界標準規格というのができれば、それは便利なのでしょうが、それに伴う弊害というのも必ず出てまいりますね……まあ、私のような「ふつうのお客さん」は、「できればよりよい上映環境でみたい」と思うくらいで、あまり深くは考えないのかもしれません。ふつうの人が、ふつうにウィンドウズを使って、その利点も欠点もあまり意識しないみたいに……(ちなみに、私が今打ちこんでいるOSはマックですが)。

    コンピュータ技術がさらに進化すればするほどいろいろなものがどんどん便利になっていくのでしょうが、結局最後に残る「どうしようもないもの」が、人間の物理的身体であると思います。DVDは人間の物理的身体は相手にしないから、どんどんデジタル技術で進められますけれど、映画館の場合には、物理的身体を持った人間に中に入ってもらって見てもらうわけですから、そのあたりは、どうしても最後には人間の物理的な身体という「どうしようもないもの」にぶつからざるをえず、大変だなあ……と思います。人間自身がデジタル情報となってしまって、デジタルな映画館に入って見る……というのなら、自由自在にコントロールできるわけですが……「身体を持つ人」は、やっぱり大変ですね……

  • Re: 映画の光と闇

    2007/07/22 by 未登録ユーザ月夜野

    HJさん

    >マイクや照明が見切れたままのプリントを渡されることがあるのでしょうか?

    まずあり得ないことだと思います。劇場の画面サイズが適正でなかった可能性があります。

    ビスタサイズのプリントには2種類あって、コマの上下に黒マスクが入っていて元から1.85サイズになっているものと、フルサイズで焼かれていて映写機のアパチャープレートでトリミングして1.85にするものがあります。
    現在前者がほとんどで後者は少数ですが、後者はアパチャー窓サイズが大きすぎたりするとハレモノのマイクや機材が映りこむ可能性があります。映写機の画面サイズはSMPTE規格で定められていて普通なら大きな誤差はないはずですが、都内の直営館でもいい加減なサイズの小屋があるくらいで信用なりません。アパチャーの下側のサイズが大きければスクリーンの上側に余計なものが映ることはあり得ます。THXだと画面サイズも審査基準に入っているので大きな誤差はないはずです。

    >「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の1作目

    DVDでもひと悶着ありましたね。Part2の画面サイズは納得できなかったです(-.-)

    >ロバート・ゼメキスの「フォレスト・ガンプ」なのですが、
    >ガンプ少年に今のステップを見せろと言って背後にボケた
    >エルヴィス・プレスリーが写りましたね。

    覚えています。印象的な場面ですね。あの場面は背景であるプレスリーに多くの人が意識を向けたことでしょう。ゼメキス監督は最新テクノロジーとアナログの技術の双方に造詣が深いと感じ入ります。


    ikaさん

    画面比率に対する考察、興味深く拝見しました。研究されている方がいらっしゃるかもしれませんね。掘り下げていったらおもしろい結果がでてくるかもしれませんね。

    >こどもの頃に親につれていってもらった劇場では、映写開始の前に、
    >天井に並んでいるライトが、一斉に消えずに、奥の方から(たしか奥からだったと思う)
    >順番に消えていくようにつくってありました。これがまた、
    >「いよいよはじまるぞ」というワクワク感を増強して、大変効果的だった覚えがあります……。

    素敵ですね。これにさらに緞帳やカーテンがあったら素晴らしいです。

    >映写性能とは関係のないことかもしれないけれど、なにか設計者の方が、
    >「映画の始まる前のワクワク感」というものをよく知っておられたような気が

    映写の仕事は単調作業に見えて実にクリエイティブです。作品を良く見せるための様々なテクニックや演出があります。自分の口癖は「映写は演出家であれ」なんですが、ikaさんの例のライティングの妙はまさに演出ですね。
    シネスコに広げるタイミングとか、照明の消灯のしかたとかBGMの流し方など事細かな配慮で映画の印象も変わるように思っています。ある種の映写としてのプライドなのかもしれません。お客様はほとんど意識されないですから…。

    >満員に近い人たちのほとんどが白っぽい服装の場合、画面に、
    >見てわかるほどの影響が出るものでしょうか

    通常の鑑賞において影響を与えることはないと思います。場内にはそれ以外にもスクリーンの天井壁面反射や映写機からの光漏れ、フットライトなど様々な迷光があるので、それと同じレベルで収まるのではないかと思います。
    これが試写室など特に闇が保たれている高度な箱であれば少なからず影響はあるかもしれませんが、映画館では無視できるレベルだと思います。

    >肝心の主題部分はボケボケで、(中略)
    >時間性があいまいになり、とうとう過去も現在も未来もわからなくなる

    デヴィッド・リンチ監督の『ロスト・ハイウェイ』で、レンズを外したカメラで撮影した場面があります。そこに写っている人物がまたストーリー上で謎を呼ぶことになるのですが、画面の一切に焦点があっていない暴挙撮影で驚きました。
    そしてこの映画、時間軸も人間関係も特異です。リンチワールドと言うべきか不思議な映画で私は好きです。ikaさんが仰る要素がいくらか見出せる映画ではないでしょうか。


    >Home THXという言葉は、はじめてききました。ようするに、
    >ホームシアターのTHX規格……ということでしょうか?

    Home THXは民生用のAV機器をTHXが審査して認定したものに与えられる呼称です。業務用THXとは全く別物で概念から違います。業務用THXは劇場設計構造や音響設備など上映から映写環境に至るまで基準がありますが、Home THXは機材が認定されているだけでそれを揃えてもTHX劇場のようになるわけではありません。ホームシアター向けのインストールもありますけど一般的ではないですね。

    Home THXには視聴ルームの大きさによって対応するいくつかのランクがあります。このことを例に挙げてみました。まあ映画館のTHXとは似て非なるものなので映写をやっている人間にはよく分からない点も多いみたいです。

    >「THXがルーカス・フィルムから分離されたことでブランド力が下がった」
    >ということは、今はルーカス・フィルムとは無関係ということですか。

    資本関係はありません。独立した別会社組織です。いまでも「THXといえばルーカス・フィルム」と認識されている方がほとんどですが、もう過去形です。実際に以前のTHX認定証やトレーラーにはLUCAS FILM.LTDの記述が必ずありましたが、現在はありません。ルーカス・フィルムから売却されたからです。これをブランド力の低下として捉えたわけです。

    >世界標準規格というのができれば、それは便利なのでしょうが、
    >それに伴う弊害というのも必ず出てまいりますね……
    >まあ、私のような「ふつうのお客さん」は、「できればよりよい上映環境でみたい」と思うくらいで、
    >あまり深くは考えないのかもしれません。

    THXに関しては弊害はほとんどないと私は思っています。映画を上映する環境としてTHXは理にかなっていますし、世界中のシネマスタジオがTHXを基本に設計をしています。そして映画館も。
    弊害があるとすれば維持管理に多少コストがかかることと、映画館側が勝手な設備改変などを行えないことがありますが、あくまで映画館の都合であって映画を上映する環境としての弊害はないと思います。ウィンドウズのようなOSはそれなくしてアプリケーションが動作しないという絶対的な環境制限がありますが、THXは映画館が認定を受けようとしなければ関係ない規格ですしね。

    個人的には現在の映画フォーマットを最適に上映する環境はTHXが王道であると考えています。残念なことに設計や技術レベルの差で性能差は歴然とありますが、最上級のTHXシアターで鑑賞する現代映画は本当にその作品の力を引き出してくれていると思いますね。そのためには箱の音響設計が最も大事です。最近は物量で攻めている箱が目立ちますが、いちばん大切なのは箱です。そのことをTHXは見事に体現していると思いますよ。好き嫌いもありますけど^^;

  • 純ビスvsビスタ・サイズ&シネスコ

    2007/07/22 by 夢寝由来

    > あなたの映画の光と闇とは……
    テクニスコープより先にクリアしたい事がありまして
    ikaさん
    世に黄金比(1:1.619)と呼ばれる数値

    ≪黄金比≫という表現を私は知らなかった。これを元にヨーロッパ・ビスタサイズが決まったと推測していいのでしょうか?

    月夜野さんのおっしゃる
    実際にマスクで隠される部分はマイクだとか照明だとか絶対にスクリーンに映ってはいけないものが映りこんでいます。撮影時に上下をカットすることを前提で撮影することで横長のビスタサイズを実現しているからです。

    確かにパラマウント社が実用化した純正ビスタビジョンはオープニングのロゴマークが出る際に一瞬右上隅に小さなトリミング記号が出ます。(上下共に)この割合でマスクをかけろ!という指示だそうです。
    アルフレッド・ヒッチコックがパラマウントで「泥棒成金」(1955)を発表した翌年ヒッチコックと犬猿の仲だったジョン・フォードがワーナーで「捜索者」(1956)を何と純ビスで発表、ワーナーとしては余分な出費=パラマウントに特許使用料を払わねばならないのに…。1985年頃出たビデオは夜のシーンに天井の照明が入ってました。フォードの純ビスはこれ1本でしたが、ヒッチ先生は純ビスが大変気に入り“シネマスコープは横長すぎるあれ(1:1.85サイズ)で充分です”とコメントし、MGMで「北北西に進路をとれ」(1959)を作った際にもわざわざビスタビジョンカメラ使用を会社に要求したそうです。「サイコ」(1960)は純ビス製作終了後の作品で、私はスタンダードのビデオ版でも気付かなかったが、…以下森卓也さんの著書[アラウンド・ザ・ムービー](平凡社)からの情報、車を沼に沈めたアンソニー・パーキンスが、振り向く夜のシーンで画面上方にトラックが走っているのが見える、アメリカ式夜景だからヘッドライトはついていない二重にマズい…従ってトラックをマスクしなきゃいけないから間違いなくビスタサイズだそうです。
    しかし、ハワード・ホークス監督を[映画の友1967年3月号]に“常にスタンダード・サイズの画面で超大作をしのぐ迫力とサスペンスを提供してくれる精力的監督”(此処で言う超大作は70mm映画を指すのだろう)と紹介してあり私も「リオ・ブラボー」(1959)は池袋文芸座と新宿(館名は忘れた)で見たが間違いなくスタンダード(縦:横=1:1.33)だったと記憶している。「ハタリ!」(1962)や「エル・ドラド」(1966)は残念ながら劇場で見ていないから私からは何とも言えないが、DVDはすべてビスタ・サイズです。私が無差別ワイドと表現(或いは暴言)した意図をお伝えしたく、つい長くなってしまいました。
    1980年代以降のシネスコ・サイズについて
    「インディ・ジョーンズ3部作」(1981、1984、1989)「アンタッチャブル」(1987)「フック」(1991)はFilmed in Panavisionと表記されており、スタンダードサイズのビデオに比べシネスコサイズのDVDは明らかに左右が広いから1960年代のパナビジョン方式と同じであり、スーパー35mmとは違うと判断していいのでしょうね?

  • Re: 映画の光と闇

    2007/07/22 by ジャン≒ルーク

    > 現実の世界はモノからできていますが、映画は光と闇からできています。
    >
    > あなたの映画の光と闇とは……

     ika さん。こんにちは。

     ちょっとタイトルの意味(というか、みなさんに何を尋ねたいのか)が、よくわからなかったので、しばらく、ROM に徹しておりました。

     よく考えてみると、それは私の「思い込み」で、「映画の光と闇について、あなたの思うことを聞かせてください。」ということだと、気づきました。

     「ブレード・ランナー」という映画があって、おおかたの人気は高いようですが、正直いって、自分はこの映画は、家で1回、劇場で2回ぐらいは「観た」と思いますが、どうしても、「スキ」になれませんでした。

     しかし、一方で、エンキ・ビラルの『ゴッド・ディーバ』という映画があって、この作品は、映像的センスうんぬんはともかくとして、いまとなってはもう、何かを「語る」ときのヒキアイに出されることもない作品なのかも知れませんが、自分は、日本劇場公開当時、一度、観ただけで、当時、

    「美意識は『ブレード・ランナー』と同じで、「黒い」か「白い」かだけの違いのような気がする」

    という、「感想」を持ちました。

     皆さんのカキコミをみて、なんとなく、そんなことを思い出しながら、ふと、われにかえり、あらためて「自分にとって」の「光」と「闇」を考えてみると、こういうことだったんだ、と、思いました。

    映画の光=『妖精写真』

    映画の闇=『フェアリー・テール』

  • Re: 映画の光と闇

    2007/07/22 by 未登録ユーザika

    月夜野さん、

    「これにさらに緞帳やカーテンがあったら素晴らしいです。」

    あったように記憶しています。ただ、昔のことゆえに、別の劇場とごっちゃになっているのかもしれません。
    『十戒』を見に行った劇場には、確実に緞帳がありました。というのは、「序曲」を5分間くらいやっている間、ワインレッドの緞帳が閉じたままで、いざ本編開始というときに、緞帳が重々しく上がっていった……その情景をよく覚えておりますので。緞帳は、ああいう「序曲」付きの映画で、はじめてその本領を発揮するように思います(インターミッション時にはいったん緞帳が下がり、再開時にはまた開きました)。緞帳付きの劇場がなくなっていったのは、「序曲」付きの映画がなくなっていったことと軌を一にする現象でありましょうか……

    そういえば、昔は、家庭のテレビにも、使わないときには幕をかけていたことを思いだしました。劇場にせよ、テレビにせよ、映写されていない画面を裸のままで晒しておくということに対する抵抗感みたいなものがあったのでしょうね。今ではちょっと考えられない感覚ですが……日本人の、一種の「つつしみ」のような気持ちがまだ残っていたのかも……(外国の劇場にも当然緞帳はあったでしょうから、これは普遍的な感覚であったかもしれません)

    「シネスコに広げるタイミング」

    これは、私はけっこう意識しますよ。「さあ、これからはじまる」という気分に関係する大事な要素じゃないかと思います。……なるほど、あの操作は、映写技師さんの担当だったのですね。当然といえば当然ですが……。あと、消灯のタイミングとかBGMがどこで終わるかというのも、けっこう気になる方です。すべて、映写技師さんが操作しておられたのですね……

    もうひとつ、ついでに?お聞きしたいのですが……私のよく行くシネコン(MOVIX三好)では、本編映写前に、必ず「ノラビツッ」という人形アニメの短編が入ります。これは、広告でもなく、予告編でもないちゃんとした作品と思われるのですが、この作品の入る意味がよくわかりません。推測ですが、本編開始前に、映写機や音響やその他もろもろの調整を行う、あるいは作動確認かなにかの目的で入るものなのでしょうか?……別に、その分余分に料金がかかるわけでもないのでいいのですけれど、どうも気になりますので……。こういう短編のことを、なにか統一して呼ぶ言葉はあるのでしょうか?

    『ロスト・ハイウェイ』

    レンズを外したカメラで撮影していたのですか……それはすごいですね。そんなことが可能なのですね……
    具体的にどのシーンかは思い出せませんが、また借りてみようと思います。
    この映画、私も大変面白いと思いました。(このサイトのレビューにもちょっと書かせていただきました)

    リンチ監督は、もともと絵描き志望だったと聞きましたが……たしかに、随所でそういう味は感じます。フランシス・ベーコンがお好きなようですが、さもありなん……と。「イレイザーヘッド」なんかは、私の感覚としては、アートフィルムと紙一重という感じですね。

    「Home THX」

    ホームシアターの機器の規格だったのですか……納得です。

    THXとOSは、たしかに同列比較はできませんね。おっしゃるとおりと思います。


    夢寝由来さん

    まず、最初にお詫びを……
    上に、黄金比を1:1.619と書いてしまったようですが、正しくは 1:1.618でした。確かめずに、記憶だけで書いてはいけないという見本のようなことをやってしまいました。すみません。
    もっとも、黄金比は、実は無限小数になるので、 1:1.618でも正解というわけではありませんが。正確にいいますと、ルート5に1をプラスして2で割った数になるようです。あるいは、フィボナッチ数列の隣接する2項の比の極限値という求め方もあるようです。

    ヨーロッパビスタサイズとの関連については、私は知りませんが、1.66と1.618だと、たしかに近い……というか、感覚的にはほぼいっしょということですね。しかしながら、それではなぜ、黄金比そのものにしなかったのか……という疑問が残りますから、偶然近い値になったと考えた方がいいのではないでしょうか。

    黄金比は、日本では、ギリシア時代からある一種の「美の基準」というふうに受けとられているみたいですが(たとえば、パルテノンや数々の名画が黄金比でできている……とか)、実は、そういうアポロン的ともうしますか、「光」の部分とともに、歴史の中で、深い「闇」に隠された、オカルティックな要素も充分に持ってるもののようです。

    黄金比は、ペンタグラム(星型)にも内蔵されていて、ペンタグラムの持つ一種の「力」とも関係しているみたいです。……こういうことを言い出すと、ほんとにオカルトの世界になっていってしまうのですが……しかるべき条件で使われる「図形」には一定の「力」がある……というのが、近代に至るまでは、けっこう普遍的な考え方であったという人もおります。

    ヨーロッパには、石工組合というのがあるそうで、それは、今でいう建築士の組合みたいなもので、ゴシックの教会建築の設計や施工を担当していたらしいのですが、彼らが、古代から連綿として続く「黄金比の秘密」等々を伝えてきたとか……フリーメーソンや薔薇十字などの秘密結社にも関係しているらしく……ここまできますと、もう「ダヴィンチ・コード」の世界ですね……こういったことの淵源の一つはピタゴラス教団らしいが、さらに古く、レムリア、アトランティスの世界にまで遡る……とか。

    ますますあやしげですが……で、なにがいいたいのかといいますと、黄金比というのは、日本でいう「美の基準」みたいな単純なものではなくて、なんか奥が深そう……と申しますか、それを用いる際には、本当は、いいかげんな用い方はしなかったもののようです。ですから、 1.66と1.618だと数値的には近いのですけれど、比率としてはやはりまったく別のものではないでしょうか……と。そういうことがいいたかっただけなのであります。はい。

    ちなみに、フィボナッチ数列も「ダヴィンチ・コード」に登場しましたが……隣接する2項の和が次の項になる……という単純な数列で、1、1、2、3、5、8、13、21、……というふうに続きます。そして、隣接する2項の比の極値が、先述のように黄金比になっています。このフィボナッチ数列は、オウム貝の殻やひまわりの種がつくる螺旋(黄金螺旋)も形成していて、ほんとに不思議な作用を持つもののようです。

    また、これとは別に白銀(プラチナ)比というのがあって、これは1:ルート2、つまり、直角2等辺三角形の斜辺と底辺の比率です。小数でいうと、1:1、4142……とやっぱり無限小数になるのですが……これは、現在の用紙規格、つまりA版、B版という文房具や印刷用紙の規格になっています。ちなみに、A全版は1平方メートルの面積を白銀比でつくったサイズ、B全版は1.5平方メートルの面積を白銀比でつくったサイズです。この白銀比は、映画の画面でいうと、スタンダードサイズに一番近いですね(スタンダードサイズよりやや横長)。この白銀比の特徴は、二つ折りにしても比率が変わらない点で、ここを生かして印刷用紙に頻繁に使われます。

    それから、もう一つ、重要なものにキャンバスの縦横比率がありますね、キャンバスの規格には、F(フィギュア・人物用)、P(ペイサージュ・風景用)、M(マリン・海景要)、S(正方形)のおよそ4種があって、それぞれの縦横比は、基本的にはつぎのとおりです。
    F……3:4(1:1.333……)
    P……6:9(1:1.5)
    M……9:16(1:1.777……)
    S……1:1

    テレビ画面のサイズは、 3:4といいますから、これはまさしくF型キャンバスからきているのでしょう。これに対し、ハイビジョンサイズは9:16だから、キャンバスのM型と同じです。映画の画面でいうと、スタンダードはほぼF型、ヨーロッパビスタはM型よりやや縦長、アメリカンビスタはM型よりやや横長……ということになります。

    縦横比率だけを較べると、以上のようなことになるのですが、それらの間にいかなる因果関係があるのか……そのあたりについては、私にはほとんどわかりません。しかし、このあたりのことは、これだけでもう、立派な研究分野になるような気がします……というか、もうすでに研究をされておられる方がきっとお見えになるのでしょうね……。もし、詳しくご存知の方があれば、教えていただけるとありがたいのですが……


    ジャン・ルークさん
    お越しくださり、ありがとうございます。

    「光と闇」だけでは、たしかにあいまいでした。私の中には、ある程度の思いはありましたが、あまり限定したくなかったものですから……

    私は、「ブレードランナー」も「ゴッドディーバ」も大好きな映画です。残念ながら、両方とも劇場では見損ねましたが……

    「ブレードランナー」と「ゴッドディーバ」を黒と白に感じられるのは、大変面白いですね……そのあたり、よろしければ、もう少し詳しくお聞かせいただければと思うのですが……

    「妖精写真」は見ましたが、「フェアリーテール」は未見と思います。 「妖精写真」を「映画の光」とされるのは、どのような意味なのでしょうか?
    文脈的に「光の映画」であればわかるような気がしますが、「映画の光」となりますと……「映画に光をもたらす映画」という意味なのでしょうか?

    ともあれ、今後ともよろしくお願いします。

  • Re: 映画の光と闇

    2007/07/23 by 未登録ユーザ月夜野

    ikaさん

    >「シネスコに広げるタイミング」
    >これは、私はけっこう意識しますよ。「さあ、これからはじまる」という
    >気分に関係する大事な要素じゃないかと思います。……なるほど、あの操作は、
    >映写技師さんの担当だったのですね。当然といえば当然ですが……。
    >あと、消灯のタイミングとかBGMがどこで終わるかというのも、
    >けっこう気になる方です。すべて、映写技師さんが操作しておられたのですね……

    映写に関わる操作はどれも演出だと私は考えています。作品を魅力的に、そして客観的にお客様に提供するためのいろいろな演出が含まれています。
    例を挙げればBGMの終わり方、カーテン開閉タイミング、照明のオンオフ、マスキングカーテンの開閉タイミング、映写機の切り替え、音量操作、作品終了のタイミングなど数々あります。これをじっくり吟味するのは楽しいお仕事なんですが、最近ではあまり重視されてないようですね。
    映画館によっては入場時に必ずシネスコサイズになっているところがありますけど、あれは幻滅ですね…。

    >もうひとつ、ついでに?お聞きしたいのですが……
    >私のよく行くシネコン(MOVIX三好)では、本編映写前に、必ず「ノラビツッ」
    >という人形アニメの短編が入ります。

    『NORABBITS MINUTES』は松竹創設110年の記念キャラクターです。MOVIXは松竹のグループ会社です。主にMOVIXと松竹系映画館で本編前に上映されていましたが、先日でシリーズは終了しました。
    ttp://eisha.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/file34__8c37.html

    >この作品の入る意味がよくわかりません。推測ですが、本編開始前に、
    >映写機や音響やその他もろもろの調整を行う、あるいは作動確認か
    >なにかの目的で入るものなのでしょうか?

    それはないと思います。きちんとした映画館なら営業開始前に映写機器のチェックやテストを行いますので、本番で調整や作動確認をするはずがありません。MOVIXは映写に対して非常に熱心な取り組みをしていますから、営業開始前にしっかりテストをしていると予測します。

    『NORABBITS MINUTES』は上映館の設備によってビデオプロジェクタ(DLP映写機含)とフィルムの2種類の上映が見られます。ビデオプロジェクタはCMや宣伝での使用が主ですからチェックにはあまり役に立たないですね。音声出力もSRDなどとは違うフォーマット(ノンシンク等)が使われているはずですから、本番チェックにはなりません。
    そのため映写機などのチェックのために上映していることはないと考えられます。第一、チェックのために伊藤有壱氏を起用してあれほど手が込んだものを作るはずがありません!

    >こういう短編のことを、なにか統一して呼ぶ言葉はあるのでしょうか?

    不勉強で私には分かりません。予告編やCMなど本編以外の素材のことを総称して「トレーラー」と呼ぶことはありますね。

    >『ロスト・ハイウェイ』
    >レンズを外したカメラで撮影していたのですか……
    >それはすごいですね。そんなことが可能なのですね……

    撮影セオリーで言えば不可能が正解でしょうけど、リンチ監督の辞書にその文字はなかったようです。ピーター・デミング撮影監督の技術やセンスも素晴らしいと思います。

    >具体的にどのシーンかは思い出せませんが、また借りてみようと思います。
    >この映画、私も大変面白いと思いました。(このサイトのレビューにもちょっと書かせていただきました)

    けったいな映画なので「好きだ」と言っても理解されない(それ以前に作品を知らない)ことが多いので嬉しいですね。あの映画は何だか訳が分からないけど面白かったです。理性を破壊されるというか…。
    新作の『インランド・エンパイア』も楽しみにしています。リンチ監督の映画は映像はもちろん音響も素晴らしく造りこんでいるので高性能の劇場で拝見したいですね。東京では立川でムーブオーバーするようなのでそれまで待ってみようかと思っています。THX上映なるか!?

  • Re: 映画の光と闇

    2007/07/23 by 未登録ユーザika

    月夜野さん

    「ノラビッツ」について、詳しく教えていただき、ありがとうございました。松竹のキャラクタだったとは……チェック用なんていってしまって、制作者には大変失礼なことでした……伊藤有壱さんという方は、私は知りませんでしたが、この世界では有名な方のようですね。

    ただ、やっぱり申し訳ないですけれど、私はあの「ノラビッツ」は好きじゃありませんでした。かなり高度な人形アニメであるとは思いますが……なんせ、本編開始前にじらされる感じがして、「早く本編に入ってくれー」と思いながらいつも見ておりますので……私としては、予告編が終了次第、すぐに本編が始まる……という方が好きなんですけどね……

    トレーラー trailer は、辞書を引きますと、「予告編」のほかに、「フィルムの巻き終わりの白い部分」という意味が載っていました。もともとtrailで「ひきずる、尾を引く」という意味があるみたいなので、「フィルムの巻き終わりの白い部分」というのは合うように感じますが、「予告編」というのはちょっと飛躍を感じます(予告編というと、やっぱり本編の前にくるという印象なので)。なにがどうなって「予告編」ということになったのか……言葉のなりたちは不思議ですね……

    「ロストハイウェイ」は、けっこう見ている人が多いかと思っていましたが、マニア向けの作品だったのですね……私は、かなり以前にリンチ作品を見たときはよくわかりませんでしたが、最近いろいろ見直したり、新しく見たりして、「おお、こんなに面白いことをやっていたのか!」と新鮮な驚きがありました。
    また、この作品は、音楽もすばらしい……

    でも、私は、リンチ作品の中では、ご本人も「失敗作」とおっしゃってる「デューン」がなぜか好きなんですよね。この作品にはいろいろなバージョンがあるようですが、長尺のアラン・スミシー版より、やっぱりリンチさんの名前が入った劇場公開版が各段に優れていると思います。ご本人にも「失敗作」といわれてしまう理由もわかるような気はしますが……それでも、なにか形容しがたい魅力を感じます……ついでにいえば、私にとっては、SWシリーズはアポロン的な光の世界ですが、このリンチさんの「デューン」は、デュオニソス的闇の世界です。

    「インランド・エンパイア」、楽しみですね!今度はどういう質問を投げかけてくるのか……と。
    みなさん、クセ玉変化球が多くときどきストレートを投げこんでくる魔球投手の、数年ぶりの投球を待ち受けるバッターのような心境じゃないでしょうか……。


    夢寝由来さん、

    画面サイズに関するお話の補足です……

    キャンバスサイズについて、
    F……3:4(1:1.333……)
    P……6:9(1:1.5)
    M……9:16(1:1.777……)
    S……1:1
    と書きましたが、現在、日本の画材店で売られているキャンバスサイズは、どうもこの規格には合っていないようです。

    Fだと1.2〜1.3の間のものが多く、Pは1.3くらいから1.5を超えるものまでばらつきがあります。Mは、1.5くらいから1.8くらいの間でしょうか……。

    非常にあいまいですが、こうなってしまうのは、サイズ(何号という)によって、同じFでも縦横比率がばらばらなので……。こういうあいまいさの理由はよくわかりませんが、どうもキャンバスの木枠を、いろんなサイズでできるだけうまく使いまわしたい……というところも大きいのではと感じます。……いずれにせよ、上に上げた数値は一種の目安ということで、実際に売られているキャンバスは、上のとおりにはなっていません。

    それから、ヨーロッパビスタの1.66という数値ですが、これは、単純に5:3という比率からきているのではないでしょうか?(割り算をすると、1.6666……という無限小数になる)アメリカンビスタの1.85という数字はよくわかりませんが……

    それから、黄金比(1:1.618)と白銀比(1:1.414)の話を書きましたが、もう一つ大事な比率に、1:1.732というのがあります。これを呼ぶ言葉がなにかあるのかは知りませんが、正三角形の底辺の半分と高さの比です。これは、3平方の定理でおなじみの数値……また、三角定規の30°60°の方のタンジェント数値でもあります。

    この比例は、ピタゴラスが重要視したもののようですが……やはり、歴史的に一つのカノンとなっているもののように思います。
    そして……黄金比、白銀比とこの数値の間には、次のような面白い関係があります。
    白銀比(1:1.414)……正方形の1辺と対角線の比。
    黄金比(1:1.618)……ペンタグラム(星型)に内蔵される比例
    1:1.732……ヘキサグラム(カゴメ)に内蔵される比例

    白銀比はルート2、1:1.732はルート3、そして黄金比はルート5に関連します。一つ抜けているルート4は日本における畳や襖の規格(1:2)です。

    ペンタグラム(星型)はヨーロッパでは魔方陣に現われる図形で、悪魔的なものを連想しますが、日本においても同じものが清明判(セーマン)として、魔よけに用いられています(伊勢の海女は、このセーマンを刺繍した手ぬぐいを被って海に入る)。また、ヘキサグラムは現在イスラエルの国旗にも使われていますが、日本ではカゴメとして知られ、伊勢神宮の灯篭にもこの図形が刻まれているとか……

    画面の縦横比率の話からだいぶ飛躍をしてしまいましたが……おそらくは、縦横比率というものには、正多角形や正多面体が関係するなんらかのルーツみたいなものが存在していて、そこから導きだされてくるものがけっこうあるんじゃないか……ということになると思います。

    最終的には長方形の縦横比率になってしまうわけですけれど、そこに至るまでの経路をたどってみると、黄金比や白銀比など、古代から伝承されてきた神秘的な比例に基づくものがあったり、あるいは現在の観客のアンケートで決められたり……と、さまざまなルーツのものが入り混じっているようです。そういうものを解きほぐしていくと、いろいろ面白い発見が、まだまだありそうな気がします。

  • Re: 映画の光と闇

    2007/07/23 by 未登録ユーザ月夜野

    ikaさん

    >チェック用なんていってしまって、制作者には大変失礼なことでした

    オープン時間前に全スクリーンの映写機材をチェックしていると思います。そのためのテストプリントなどもあるはずですよ。営業時間にチェックをするとチェックになりませんからね(笑)。

    >私としては、予告編が終了次第、すぐに本編が始まる……という方が好きなんですけどね……

    劇場によって上映運用が異なるのかもしれませんが『NORABBITS MINUTES』は予告編の前に上映されていませんか?
    CM→NORABBITS MINUTES→ポリシー→予告編→本編
    の順番だと思っておりました。予告編と本編の間に上映しているとすれば好ましくないと思います。ただしサウンドトレーラーやスピーカートレーラ、THXトレーラーなどは予告と本編の間に上映するのが通例です。

    >トレーラー trailer は、辞書を引きますと、「予告編」のほかに、
    >「フィルムの巻き終わりの白い部分」という意味が載っていました。

    日本の映写担当者のなかで、いわゆる「ケツフィルム」をトレーラーと呼ぶ人は少数だと思います。大多数は予告編全体をトレーラーと言っているのではないでしょうか。しかし私自身は予告編ことをトレーラーとは呼んでいませんし人それぞれですね。一般的な呼称では
    予告編=トレーラー
    プリントの前後余分なフィルム=リーダー
    が多いと思います。

    思うに予告編は本編に先行した部分につながれるので、本編を引っ張るという意味でtrailerの言葉が生まれたのではないかと推測します。これは語学にお詳しい方に聞かないと真相は分かりません。
    「フィルムの巻き終わりの白い部分」という辞書の記述は厳密にはおかしいですね。白いフィルムというのは通常はありませんから。白い部分というのは実際には透明のはずなんです。

    言葉の運用(とくに業界用語)は曖昧ですからあまりお気になさらないでください。映写担当者同士でもたまに用語が違って意思の疎通が困難になることすらあります(笑)。

  • テクニスコープも永遠に…

    2007/07/23 by 夢寝由来

    > あなたの映画の光と闇とは……
    ikaさんへ
    画面サイズとキャンパスサイズの関連知りませんでした。私はハイビジョンを中心のワイドテレビの縦:横=9:16≒1:1.777∞は単純に【スタンダード(1.33)+ヨーロッパビスタサイズ(1.66)+シネスコサイズ(2.35)】÷3=1.78で決めたと思ってました。

    テクニスコープですが、私の認識では1964年イタリア映画「昨日、今日、明日」が第1作だと思います。テクニカラー社はパラマウントと提携した純正ビスタビジョンを終了後、フィルムやレンズの感度が向上した時期に純ビスと正反対の方式のワイド画面を開発したそうです。従来の24コマ/秒を12コマ/秒で撮るというか従来の1コマ分で2コマ撮る方式=テクニスコープです。横長のネガをアナモを使用し圧縮プリント化。映写もシネスコ同様アナモで拡大だそうです。撮影用フィルム費用半額なのでロケ費の安いイタリア製西部劇=マカロニ・ウェスタンで良く使われました。特にセルジオ・レオーネがクリント・イーストウッドを起用した「荒野の用心棒」(1964)「夕陽のガンマン」(1965)「続・夕陽のガンマン」(1966)が有名です。アメリカでもユニバーサル社が「テキサス」(1966)「ジェリコ」(1967)「刑事マディガン」(1968)で使用、撮影は偶然か?3本ともラッセル・メティ。「刑事マディガン」は皮肉のも“シネスコサイズは大嫌い”と公言していたドン・シーゲル監督の55歳にして初のA級作品で出世作です。一方セルジオ・レオーネはアメリカ進出を果たしパラマウント社から「ウエスタン」(1968)を発表。これはテアトル新宿で1969年10月31日(D−150方式スクリーン)コケラ落としとして公開されたそうです。テクニスコープは1970年代初頭に終了しましたが、レオーネたちの傑作群はしっかり生き残っています。
    参考までに『20世紀アメリカ映画辞典』(カタログハウス出版)には1914年〜2000年の日本公開アメリカ映画が公開順に簡単なスタッフ、キャスト、カラー又は白黒、画面サイズの情報を含め全て載っています。先日図書館で知りました。

  • Re: 映画の光と闇

    2007/07/24 by 未登録ユーザika

    月夜野さん、

    「映写に関わる操作」(これは一つ前に頂いたレスですが)について……

    メインはやっぱり映写機を回すお仕事なんだと思うのですが……昔、聞いた話では、2台の映写機を交互に回す……ということのようですが、これは今でもそうなのでしょうか?
    また、もしそうなのだとしたら……映写機の切り替えは、今でも手動といいますか、技師さんの技術によって行うのでしょうか、それとももう完全に自動化されているのでしょうか……?
    (素朴な疑問ですみませんが)

    映写機が回っている間は、素人考えでは、あまりなにもなさることがない期間のように思われるのですが……
    想像ですが、ゆっくりとコーヒーを飲みながら、ときどき映写機の回り具合を確認する……といった、そういう時間なのでしょうか……
    また、映写中は、ずっと映写室にこもりきりでおられるのでしょうか……

    映写技師さんほど、同じ映画を繰り返し見る方はいないと思います。おそらく、監督さんより見る回数、見ている時間ははるかに多く長いはず……とすると、普通、私たち観客が1回かぎりで、「見ましたー」といっている段階ははるかに越えて、その映画の細かいところまで知悉状態となられるように思うのですが……
    果たして、1回だけで、その映画を「見ました」といえるものなのかどうか、そのあたりはどう考えられますでしょうか?

    「ノラビッツ」の上映タイミングについて

    これに関しては、私の勘違いであったかもしれません。今度行ったら、注意して見ます……(といっても、もう終了している?)

    「トレーラー」について

    「本編を引っ張るという意味でtrailerの言葉が生まれた」
    なるほど、これは説得力のある説ですね。思わず、運搬車両のトレーラーの姿を想像しました。前の運転席のある小さい部分が、後の大きな荷物部分を引っ張っている姿……視覚的にわかりやすい解釈であると思います。

    一応、語源的なものを調べてみましたが、trailが、ラテン語のtrahere(引く)からきているという程度しかわかりませんでした。trace, tract, trainなども同語源のようです。ちなみに、今は「汽車」という意味にもなるtrainも、もともとは「引く」という意味だったようでのちに「訓練する」とか「汽車」という意味になったとか。これも、機関車が客車を引っ張っている姿が浮かんできて、視覚的にわかりやすいですね。

    「フィルムの白い部分」というのは、たしかにおかしいですね。映写してしまうと真っ白に映るから「白い」と言ったのでしょうか。辞書の記述も、百パーセントは当てにならない……ということですね。


    夢寝由来さん、

    「ワイドテレビの縦:横=9:16」

    なるほど、書いておられる相加平均を計算すると1.78となりますね。
    そういうことだったのでしょうか……
    キャンバスM型は、一応16:9ということなのですが、これは前にも書きましたように、実際のキャンバスのアスペクト比はサイズによってばらばらということもあり……、関連性については推測でしかありません。

    16:9という数値の根拠について、一つ考えられるのは、この数値が、4の2乗:3の2乗である点です。
    4と3をタンジェントとする直角三角形を求めてみると、斜辺は5になるはずですから、これはきわめて美しいなりたちであるといえると思います。つまり、16:9という数値には、実は、各辺の比が3:4:5の直角三角形が隠されている……という考え方です。

    これは、例の3平方の定理を実際にこの三角形で書いてみると、その美しさが実感されますが……3の辺に、縦横3分割の面積9の正方形ができ、4の辺に、縦横4分割の面積16の正方形ができ、5の辺に、縦横5分割の面積25の正方形ができます。そして、三角形自身の面積は6となります。また、アスペクト比が3:4の長方形の面積はちょうど12になりますが、12という数は、3(天上界・精神界)と4(地上界・物質界)の双方がより高い次元にて融和解決された、ある意味で完全数です。

    キャンバスのF型のアスペクト比の4:3がこの比率で、M型の16:9はその2乗比ということになります。また、スタンダードサイズの4:3、ヨーロッパビスタの5:3も、この3:4:5三角形の中に隠されているといえそうです。

    映画『2001年宇宙の旅』に登場した「モノリス」は、小説の方ではそのサイズについての言及があり、各辺が1:4:9、すなわち、最初の3つの整数の2乗比になっているとのことでした。ボーマン船長は、進化した宇宙生命体になってみると、その理由が直感的にわかった……とか。私たちも、進化すれば、3:4:5三角形の持つ「真の姿」がわかるのかもしれません……

    「テクニスコープ」について、いろいろ教えてくださり、ありがとうございました。スタンダードサイズのフィルムの一コマに2つ分の画面を撮影したという話を前にきいたことがありますが、これのことだったのでしょうか……たしかに、フィルム代が半額になるというのは大きいですね。そして、横長ワイドの効果も得られる……人間、なんでも考えるもんですね……でも、1970年代初頭に終了したということは、いいことばかりじゃなくて、なにか欠陥も大きかったのでしょうか……

    『20世紀アメリカ映画辞典』(カタログハウス出版)
    この本のことは知りませんでしたが、面白そうですね。今度図書館でさがしてみます。

  • 悪役出身俳優の光と闇

    2007/07/24 by 夢寝由来

    > あなたの映画の光と闇とは……

    テクニスコープ終了の要因ですか?
    さすがikaさんは一歩進んで考えるお方らしい、私の憶測を記します。
    @通常ネガと間違えてポジへ焼付けるミスが多発した。
    A売り上げ減になるフィルムメーカーの苦情及びフィルム供給を停止するという脅しがあった?
    Bテクニスコープ・カメラが撮影中にたびたび故障した。
    C撮影プロセスの多様化は業界に混乱を招く。
    D映画産業が斜陽化と呼ばれた時代(1970年代)ワイド画面自体が激減した。

    さてテクニスコープ映画で有名になったクリント・イーストウッドより10年前の1954年に「道」でハリウッドの悪役・脇役から一躍世界的な名優になったアンソニー・クイン。同じ脇役から身を起こして主役に昇格した人に、アーネスト・ボーグナイン、ジャック・パランス、ウォルター・マッソー、チャールズ・ブロンソン、リー・マーヴィン、リー・ヴァン=クリーフ等がいるが、クインは一線を画する存在だと思う。
    どん底の端役から始まり重要な主役の仇役か相棒役に出世し遂に39歳で自ら主演を張れるようになったクインは正に闇の世界から光の世界に出られた俳優だが、役柄もまた「道」のザンパノは“闇の男”、「その男、ゾルバ」(1964)は光の男と対極する役を生涯の代表作にしているからである。7/15〜7/16投稿にカーク・ダグラス続く俳優論になりました。

  • Re: 映画の光と闇 ネタバレ

    2007/07/25 by ジャン≒ルーク

    > 現実の世界はモノからできていますが、映画は光と闇からできています。

     まあ、同じ掲示板内で、「ネタバレ」合戦をしてても、ナンなので、

    「妖精写真」=『プレステージ』

    「映画の光」=『イリュージョン』

  • Re: 映画の光と闇

    2007/07/25 by 未登録ユーザika

    夢寝由来さん

    テクニスコープ終了の原因……1から5まで、いずれも大いにありそうな話ですね。

    2にかんしてですが……
    なにかで、フィルムの品質が向上したので、スタンダードに上下のマスクをかけて横長画面を得る方法も可能になったとききました。つまり、フィルム使用面積が小さくなっても、品質が向上したから画質の劣化がなくなった……ということです。
    もしフィルムメーカーが売り上げを増やそうとするなら、これ(品質向上)は、むしろ自殺行為になるようにも思えるのですが……

    それと、挙げてはおられませんでしたが、テクニスコープの画質が、やはり製作者には気になった……ということはないでしょうか。

    5の、ワイド画面の減少は、映画自体が、「見世物」性から「内容」重視に移行してきたということとも関連するように感じます。シネラマなんか、迫力はあるが、つぎはぎ部分がかなり目立つので、やっぱり内容をきちんと見せようとする人にとっては抵抗が大きくて、すぐにすたれたのでは……
    70mmなんか、もっと続いてもよさそうな気もするんですけどね……

    アーネスト・ボーグナインは、ポセイドン……の脇役の印象が私には残っておりますが……この間、「西部戦線異常なし」を借りて見ていましたら、彼の若いころの姿が出てきて、驚きました。若いころ……といっても、すでになんだかオジサンぽい感じですが……やっぱり独特の味がありますね。ああいう、すいもあまいも噛み分けた梅干顔の方は……映画にとっては貴重ですね。

    もうお一人……マックス・フォン・シドウ……この方は、梅干じゃなくて、ノーブルな冬瓜!?のような感じですけれど、この間、「マイノリティ・リポート」を借りてきて見ていましたら、犯罪予防局の局長役で出ておられました。この方は、私にとっては、「偉大な生涯の物語」のキリスト役で印象深かったのですが、「第7の封印」から今日まで、息の長い俳優さんですね……。


    ジャン・ルークさん、

    少し……やりかたが飲みこめてきました。

    そのやり方でいきますと……

    SF大河ロマンの光……SWシリーズ

    SF大河ロマンの闇……デューン(リンチさんの)

    ということになります(前にも書いたことですが)。

    また……

    SF宇宙旅行の光……「2001年宇宙の旅」の前半

    SF宇宙旅行の闇……「2001年宇宙の旅」の後半

    でしょうか。

    SFばかりになっちゃいました……

  • 光の似合う大スターが闇を演じる時

    2007/07/25 by 夢寝由来

    > あなたの映画の光と闇とは……
    ikaさん
    アーネスト・ボーグナインは、ポセイドン……の脇役の印象が私には残っておりますが……この間、「西部戦線異常なし」を借りて見ていましたら、彼の若いころの姿が出てきて、驚きました。若いころ……
    「西部戦線…」リメイク版ですか?私は1930年頃に製作されたルイス・マイルストン版しか知りません。
    もっとも防具九いやボーグナインは30代から後頭部がハゲいて肥満体で顔にもシワ多く実年齢より15〜20歳老けて見えたから。

    俳優の光と闇の続き、前回アンソニー・クインは「世界を彼の腕に」(1952)で主役グレゴリー・ペックのライバル船長(互角に殴り合うシーンあり)を演じて名脇役としての地位を確立したそうです。ペックは光のイメージが強く闇はまれと7/16のレスで簡単に伝えました。28歳で主役デビューを飾り、30歳でイメージを確立させたペックはエリート路線を歩んだ光のスターですが、この30歳の主演作2本が共に当時まだ希少価値のテクニカラー映画「白昼の決闘」と「子鹿物語」で前者の役は何とヒロイン(ジェニファー・ジョーンズ)を無理矢理自分の物にして殴る蹴るの暴力を加え、無抵抗な兄の弁護士(ジョゼフ・コットン)に発砲して重傷を負わせる乱暴者のカウボーイ=周囲を不幸にする闇の男。後者は誠実で正義感が強い理想の夫・父親という本来の光のイメージ。ロサンゼルスでは1946年公開で、ペックは後者でアカデミー主演男優賞ノミネート、ジェニファー・ジョーンズは前者で同じく主演女優賞ノミネート。共に賞は逃したが、全米公開は前者が1948年、後者が1947年、同一スター主演による希少価値のカラー映画を同時公開するのを避けた配慮でしょうか?他に「白鯨」(1956)の乗組員全員を死に招く船長、「無頼の群」(1958)の残酷な復讐鬼ガンマン、「西部開拓史」(1962)の無責任な賭博師(少しだけ闇)、「ブラジルから来た少年」のナチ残党が“闇の男ペック”を知る貴重な映画です。

  • Re: 映画の光と闇

    2007/07/26 by 未登録ユーザ月夜野

    ikaさん

    >メインはやっぱり映写機を回すお仕事なんだと思うのですが

    「映写」の仕事に限ればそうですね。
    余談ですが私が強く申し上げたいことは「映画をよりよい環境と品質で提供する」ことが映写の基本業務と捉えています。映写機を操作して映画を上映するだけではなくて、プラスアルファのサービスは不可欠ですね。

    >昔、聞いた話では、2台の映写機を交互に回す……ということのようですが、
    >これは今でもそうなのでしょうか?

    THXと同じく文章のみで説明は難しいのですが…。
    端的に言うとシネコンはほとんどが1台の映写機で上映しています。2台の映写機を運用しているのは国内シネコンでも数えるほどしかありません。1台映写の場合は複数のロールに分かれている映画上映プリントを1つに全てつないで上映しています。

    2台映写は1つにつながずに2つに分けます。全6ロールの作品なら3ロール1つなぎを2つ作って前半と後半に分けるのです。前半終了時に画面右上にでるチェンジマークを見ながらタイミングを計って後半の映写機に切り換えます。この作業はほとんどは自動化されています。
    2台映写でも映写機にプリントが搭載できる尺であれば1ロールにつなげてしまうこともできます。これだと1台映写と同じような運用になりますがあまりやることはないですね。

    >映写機が回っている間は、素人考えでは、あまりなにもなさることがない
    >期間のように思われるのですが……
    >想像ですが、ゆっくりとコーヒーを飲みながら、ときどき
    >映写機の回り具合を確認する……といった、そういう時間なのでしょうか

    そう思われてもしかたないと思いますが実際はいろいろやっています。上映スケジュールの作成や予告編の編成、新作の編集や終了作品の解体、映写機や場内のチェックにサウンドと音量の決定確認など一通りやっているとすぐに時間が過ぎます。シネコンのようにセクション専任の場合は以上のように映写に関する作業のみを行いますが、セクション兼任だと他の作業も多くあるのでほとんど映写室にはいない状況の映画館もあることでしょう。
    基本的に上映が始まれば暇ということは普通はないんです。シネコンであればスクリーンも映写機も6台以上と多数ありますから全スクリーンの運用を少人数で行っていると他の作業ができなくなることすらあります。初回と最終回上映開始後は比較的時間ができますので、この間に雑務をこなします。

    >映写技師さんほど、同じ映画を繰り返し見る方はいないと思います。

    重複しますが上映中に映画を眺めているなんてことはありません。チェックなどで断片的に見ることはありますけどね。『ニュー・シネマ・パラダイス』では「同じ映画を100回見る」という映写技師の台詞がありますが、今日の映写業務ではあまりそういうことはありません。
    それに場内で見るのと映写室で見るのとは映画は全くの別物と考えています。映写室から見える映画はまやかしですね(笑)。そのため知悉状態にはならないと私は思います。

    >「フィルムの白い部分」というのは、たしかにおかしいですね。
    >映写してしまうと真っ白に映るから「白い」と言ったのでしょうか。

    おそらくそうだと思います。
    映写関連業務は表ざたにならない裏方なので誤認識は多いように思います。THXがいまでもルーカス・フィルムと思われがちなのもそうです。最近では映画館で上映されている映画はすべてデジタル映写でフィルム映写機が設置されていないと思っている人も多いようで驚かされることがあります。

  • Re: 映画の光と闇 ネタバレ

    2007/07/26 by ジャン≒ルーク

    > 現実の世界はモノからできていますが、映画は光と闇

     スタンリー・キューブリック監督は、映画『2001年宇宙の旅』の冒頭で、

    「類猿人」によるモノリスとの「接触」

    を描き、一方で、映画のラスト、

    「スター・チャイルド」の誕生、そして宇宙での「揺籃期」

    という、作品構造を採用しているのではないか、と感じました。


     「モノリス」は、この物語の舞台が、西暦2000年代のどの時点かにかかわらず、「いつも存在」しています。

     では、「惑星」地球上に埋もれた「モノリス」は何処へ?

     「カーボナイト化」されて、すでに「人間たち」が消費してしまったのだろうか。

  • Re: 映画の光と闇

    2007/07/26 by 未登録ユーザika

    夢寝由来さん、

    「西部戦線異常なし」……1930年のマイルストン版です。(リメイク版というのがあったんですか!私はまったくしらなかった……)

    私は、ふだんはあまり昔のモノクローム映画は見ないのですが、この映画は前から見たかったので、借りてきてみました。
    1930年という、両大戦のはざまの微妙な時期につくられていますが……主張するべきものを堂々と主張した、立派な映画だと思いました。

    この映画の中では、やっぱりボーグナインさんの味のある演技(というかお顔)が、一番印象に残っております。
    ドイツの兵隊さんたちが、もろに英語をしゃべるのには、やっぱりちょっと興ざめが……

    ボーグナインさんで思い出しましたが、ポセイドン……のすぐ後につくらたと思われる、柳下2泥鰌映画……タイトルが思い出せないんですけれど、火山島からの脱出劇で、彼は、ポセイドン……とほとんど同じ役回りをやっていたように思います。この映画は、偶然テレビ放映を見たのですが……なんか、ものすごーくけだるーい気分になってしまいました……。


    月夜野さん、

    いろいろと誤解をしておりましたようで、申し訳ありません……

    「プラスアルファのサービス」

    これについては、ふだんは私たち観客はあまり認識しないけれども、気分良く映画を見られた陰には、技師さんたちのこういうご努力がある……ということですね。

    「複数のロールに分かれている映画上映プリントを1つに全てつないで上映」

    そういうことでしたか……。すると、ものすごく大きな円盤になるわけですね。重量も相当のものでしょう。
    昔は、チェンジマークでの切り替えがうまくいかなかったようなケースがたまにあったと記憶していますが……今は、ほぼ皆無ということですね。

    2台映写の場合、厳密にいえばスクリーンに対する光軸が、わずかにずれるのではないかと思っていましたが、この点はどうなのでしょうか?

    「上映スケジュールの作成や予告編の編成、新作の編集や終了作品の解体、映写機や場内のチェックにサウンドと音量の決定確認」

    こんなにいろいろやっておられるとは知りませんでした。……私は、上映中はゆっくり映画を見られるいいお仕事だなあ……と思っていたのですが、大変な誤解でしたね。どうも失礼しました……

    新作の編集……というのは、要するに、複数のロールを一つにまとめるという作業を指すのでしょうか……? そうすると、終了作品の解体というのは、その逆の作業?でしょうか……

    「シネコンであればスクリーンも映写機も6台以上」……これは、スクリーンも映写機も6台以上の劇場を、シネコンと呼ぶ……という定義的なものでしょうか? そうすると、なぜ6台からなのか?ということが、少し気になりますが……

    「映写室から見える映画はまやかし」……そうだったのですか……やっぱり、劇場内の暗い空間というのは、映画にとっては不可欠ということですね……
    私たちは、「映写室から見える映画」は想像するしかないのですが、テレビのモニタ画面で映画を見るような感覚に近いものでしょうか?

    「最近では映画館で上映されている映画はすべてデジタル映写」という思いこみ……これについては、多少気になるところですが、現在どれくらいの割合でデジタル化されているのでしょうか? また、将来的には完全デジタル化の方向に進むのでしょうか……?

    いろいろ、質問ばかりになって恐縮ですが、お暇なときにでもお答えくだされば幸いです。


    ジャン・ルークさん、

    「モノリス」ですが、私は、モノ(物質)ではないのでは……と思います。

    あれは、一種の「場」のようなものとして想定されているのではないか……と。
    Monolithという語感からしますと、なんとなく石っぽいものを連想(lithは石だから)してしまいますが……
    実は、一種の「端末」であって、一定の機能を果たすように構成された、いわばプログラムの集積のインターフェイスの総合的外観と考えてもいいのではないでしょうか。

    もっとも「物質」概念自体が、今日ではかなり曖昧になってきているようですから……
    そのあたりを考えますと、単なる「物質」と「モノリス」の間に、明快な分界線を引くのは難しいのかもしれませんが……

    地球上にあるように見えたモノリスも、実は、そのように見えているだけで……ということではないでしょうか……??

    J・Lさん様式のつづきで……

    光だけの映画……「かもめ食堂」

    闇だけの映画……「ゆきゆきて、神軍」

  • 或る大製作者?の闇

    2007/07/26 by 夢寝由来

    > あなたの映画の光と闇とは……

    ikaさん、ずいぶん引っ張りますね。さいボーグ00ナインいや、アーネスト・ボーグナインで…本当はグレゴリー・ペック→「ローマの休日」つながりでオードリー・ヘプバーンの光と闇に行くつもりだったのですが、…
    「西部戦線異常なし」……1930年のマイルストン版です
    もしその作品ならボーグナインではなく別の俳優だと思います。彼は1915年(1917年、1918年説あり)生まれで1950年映画界にデビューですから。
    「地上(ここ)より永遠(とわ)に」(1953)の営倉係の悪軍曹、「ヴェラクルス」(1954)の二番目に偉そうな無法者、生涯唯一の栄光主演作「マーティ」のお人よし肉屋の主人、「飛べ!フェニックス」(1965)の発狂する乗客、「ワイルド・バンチ」(1969)の強盗団の参謀、「北国の帝王」(1973)の残忍な車掌などが印象深いです。

    ポセイドン……のすぐ後につくらたと思われる、柳下2泥鰌映画……タイトルが思い出せないんですけれど、火山島からの脱出劇で、彼は、ポセイドン……とほとんど同じ役回りをやっていたように思います。
    「世界崩壊の序曲」(1980)でしょう。当初「世界最後の日」という邦題予定だったが、たぶん当局からのクレームで改題されたオールスター・キャスト映画ですが、同時期(1980年夏休み)公開の「スター・ウォーズ/帝国の逆襲」に惨敗というか玉砕。ちなみに製作者アーウィン・アレンは「ポセイドン…」(1973)の成功後、更に豪華キャストで「タワーリング・インフェルノ」(1974)を発表、前作以上に大成功したまでは良かったが、その後調子付いて空虚な超大作を連打「スウォーム」(1978)等で失敗し起死回生を狙ったのが、「世界…」。デミルの再来になれなかった製作者が闇に堕ちてしまった不幸な歴史があります。

  • Re: 映画の光と闇

    2007/07/27 by 未登録ユーザ月夜野

    ikaさん

    「映画の光と闇」から遠く離れて映写の話題にONLYになってしまっていますね…。

    >ふだんは私たち観客はあまり認識しないけれども、
    >気分良く映画を見られた陰には、技師さんたちのこういうご努力がある

    何事もなく上映が開始/終了するとき観客のほとんどは映写スタッフの存在は意識のなかにありませんが、いったんトラブルに見舞われた途端にその存在が意識されるようになります。映写は裏方、お客様に意識されずに快適な上映を提供できることがいちばんだと思います。その半面で箱や上映設備に関心を寄せてくださる方がいらっしゃると嬉しいものです。

    >ものすごく大きな円盤になるわけですね。

    大きなドーナツ状のフィルムになります。2時間の映画だと約3,300mのフィルムのロールが使われているというわけです。もちろん重たいですし慎重に扱わないと型崩れして大変なことになります。腕力や身長が必要な場面は女性には大変です。

    >チェンジマークでの切り替えがうまくいかなかったようなケースが
    >たまにあったと記憶していますが……今は、ほぼ皆無ということですね。

    1台映写であれば切り替えが存在しませんので切り替えミスはありえません。
    あと前回に書き忘れましたが1リールごとに切り替える(全7巻なら6回切り替える)映写手法もたしかにあります。通常の映画館でこれをやっているところはほとんどないと思います。

    >2台映写の場合、厳密にいえばスクリーンに対する光軸が、
    >わずかにずれるのではないかと思っていましたが、この点はどうなのでしょうか?

    鋭いご指摘です。
    仰るとおり、スクリーンの水平方向を基準として映写機を中央に設置できる1台式に比べると、2台式は厳密には軸がやや内側に偏ります。偏ることは事実ですが、正確に設置している限りはその影響がわかることは「ない」としておきます。その程度の違いです。
    THXは映写機の設置位置に基準があるので中央から大きく外れた設置は許されていません。しかし非THX館では例外も時々あります。それでもまず違いは分からないと思います。むしろスタジアム形式だと仰角による歪みのほうが深刻です。

    >新作の編集……というのは、要するに、複数のロールを一つに
    >まとめるという作業を指すのでしょうか……?
    >そうすると、終了作品の解体というのは、その逆の作業?でしょうか……

    その通りです。上映できる状態に仕上げることを指しています。フィルムメイクと言ったりもします。

    >スクリーンも映写機も6台以上の劇場を、
    >シネコンと呼ぶ……という定義的なものでしょうか?

    シネコンの定義はあいまいなところがあって定まった基準があるわけではありません。個人的にはスクリーン数において6スクリーン以上をシネコンと捉えておりとくに理由があるわけではありませんがWMC海老名が7スクリーンあって、たいていのシネコンは6スクリーン以上あることを根拠としています。5スクリーン以下はミニコンと言うこともあります。

    >私たちは、「映写室から見える映画」は想像するしかない

    ご想像にお任せします(*^_^*)

    >現在どれくらいの割合でデジタル化されているのでしょうか?
    >また、将来的には完全デジタル化の方向に進むのでしょうか……?

    これは新たにトピックを作ったほうがいいかも…。

    国内公開映画の95%以上はフィルム媒体です。デジタル媒体も徐々に増えていますがごく少数ですね。今後はハードとインフラの普及次第ですけど確実にデジタル上映は増加すると考えています。それが良いか悪いかは別問題ですけどね。
    いろいろと広範に渡る話題なのでトピックを立てるとおもしろいと思いますよ。


    なんだかブログで書きたいことを全部書いちゃっているように思います(>_<)

  • Re: 映画の光と闇

    2007/07/28 by 未登録ユーザika

    夢寝由来さん

    アーネスト・ボーグナインはこれで最後に……

    「西部戦線異常なし」……1930年のマイルストン版に出ているとしたら、十代前半ということになって確かに変。でも、このサイトの 「西部戦線異常なし」のところには確かにこの方のお名前が……
    一体どういうことになってるのでしょうか???

    「世界崩壊の序曲」(1980)というタイトルでしたか。いや、これでちょっとすっきりしました。ありがとうございました。……にしても、お詳しい。 「スター・ウォーズ」では、相手が悪かったですね。

    では、 グレゴリー・ペック→「ローマの休日」つながりでオードリー・ヘプバーンの光と闇……をよろしく……。


    月夜野さん

    「映画の光と闇」から遠く離れて……

    私の中では、範囲内なのですが……

    いや、しかし、月夜野さんのブログ予定内容を一部漏洩させてしまう結果になったようで、すみません。興味ある分野でしたので、つい質問ばかりしてしまいましたが、丁寧にお答えくださり、ありがとうございました。
    映写技師さんは、月夜野さんしかお目にかかったことがありませんが(といって、文章的にしかお目にかかってないですが)、 映写技師さんという職業が、とても紳士的に見えてまいりました。実際には、かなり体力勝負もあるような感じですけれど、なにか、さっそうと白衣を着て、黒縁眼鏡をかっこよくかけた、長身の青年の姿が浮かびます……(余計なことをいいました。単なる妄想……です。ご容赦。)

    お礼まで。また、気が向かれましたらお立ち寄りください。いつでも大歓迎です……。
    では、おやすみなさい。

  • 日本で最も愛された女優

    2007/07/28 by 夢寝由来

    > あなたの映画の光と闇とは……
    本当は【オードリー・ヘプバーン】というスレを誰かが立ち上げるのではないか?と思ってました。日本とアメリカでの評価が全く異なる女優さんですね。日本での評価は映画情報誌スクリーン等で出し尽くされますから控えます。アメリカでは、マネーメイキング・スタートップ10選出0回という結果です。ポイントはウィリアム・ワイラーやビリー・ワイルダーのような巨匠監督が彼女を育ててやろう、という気持ちにさせる光を放っていた事でしょう。ハリウッド女優だが、パリかニューヨークを舞台にした作品が多いように感じます。「シャレード」(1963)、「おしゃれ泥棒」(1966)、「暗くなるまで待って」(1967)が私にとって光です。ミスキャストと言われた「許されざる者」(1959)は彼女の闇でしょうか?「昼下がりの情事」(1957)は相手役のゲーリー・クーパーにとって闇だと思います。

  • Re: 映画の光と闇 ネタバレ

    2007/07/29 by ジャン≒ルーク

    >モノからできていますが、映画は光と闇からできています。
    >
    > あなたの映画の光と闇とは……

     無理やりに、ハナシをあわせてみます。

     S・キューブリックは、映画『博士の異常な愛情』の日本公開時、
    日本語タイトル「そのもの」を、自分で決めようとしたようです。

     配給側は、苦し紛れに、とんでもなく長いタイトルをつけ、納得させたそうです。

     それが、この結果。

    『どくたー・すとれんじらぶ』。

     それがカレのこだわりなんでしょう。

  • 歴史は繰り返す

    2007/07/29 by 夢寝由来

    > あなたの映画の光と闇とは……

    ikaさんへ、詳しいと評価して下さる私の知識は国とジャンル限定のほんの氷山の一角です。
    【歴史は繰り返す:ネガティブ篇】
    7/26投稿でアーウィン・アレンにふれましたが、実は1960年代前半にもデミルの後継者を目指した製作者がいました。サミュエル・ブロンストンです。独立後、70mm超大作を連発、まずアンソニー・マン監督を起用し「エル・シド」(1961)で成功。「北京の55日」(1963)を製作するが期待ほどヒットせず、「ローマ帝国の滅亡」(1964)で失敗、起死回生を狙った「サーカスの世界」で破産。
    【同:ポジティブ篇】
    パラマウント社の主演男優果たして偶然か?
    再びゲーリー・クーパーの主演作です。
    1940年代当時希少価値のテクニカラー超大作に主演、「北西騎馬警官隊」(1940年:39歳)、「誰がために鐘は鳴る」(1943年:42歳)、「征服されざる人々」(1947年:46歳)。「北西…」と「征服…」はデミル映画、「誰が…」はデミルの弟子サム・ウッド監督作だが、原作の映画化権購入を命じたのはデミル。
    1980年代ハリソン・フォードはルーカス&スピルバーグ提携のインディ・ジョーンズ3部作に主演、「レイダース/失われたアーク」(1981年:39歳)、「インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説」(1984年:42歳)「同/最後の聖戦」(1989年:47歳)と最も会社に興行面から貢献度の高い映画に主演ししかも演じた年齢もほぼ一致する。
    クーパーもフォードもこの時期が最も輝いていたと思うのは私だけか?

  • Re: 映画の光と闇

    2007/07/30 by 未登録ユーザika

    夢寝由来さん、

    「マネーメイキング・スタートップ10選出0回」……ちょっと意味がよくわかりませんが……

    「ほんの氷山の一角です。」……氷山の全体は、映画史百年の全体ということでしょうか?……氷山の一角の、そのまた一角をかき氷にして食べているような気分になってまいりました……。まあ、なんにしてもおいしければオーケーですね。

    サミュエル・ブロンストン……この方は、私にとっても懐かしい名前です。子供のころ、父親が70mm大好きで、よく連れて行ってもらいましたが……パンフレットを買って帰ると、だいた製作者がこの人でした。ということで、この人は、私にとって、映画に「製作者」という人種がいる……ということを、初めて教えてくれた人になりました。

    「監督と、どうちがうんだろう?」と疑問でしたが……今でも、
    「監督」……映画の内容をつくる人(映画の光の担当者)
    「製作」……お金を集める人(映画の闇の担当者)
    というような認識しかありません。
    ほんとのところの役割分担は、どうなっているのでしょう……?
    最近は、「製作総指揮」というのまで現われて、ややこしいですね……

    ところで、インディ・ジョーンズシリーズで新たな作品ができるような話を聞きましたが、主演はやっぱりハリソンさん??


    ジャン=ルークさん、

    無理矢理……それは恐縮です……。

    原題を全部訳すと、

    偏愛博士、あるいは停止法学習法

    ということにでもなるのでしょうか?

    後半部分は日本語にはしなかったのですね……

  • Re: 映画の光と闇 ネタバレ

    2007/07/31 by ジャン≒ルーク

    > 映画は光と闇からできています。
    >
    > あなたの映画の光と闇とは……

     正式な邦題は

    『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』

    です。

     そして、前半部分は「意図的な誤訳」と聞きました。

     後半部分を日本語にしなくてもよかったら、楽だったのかもしれませんね。

  • Re: 映画の光と闇

    2007/07/31 by 未登録ユーザika

    ジャン=ルークさん、

    『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』

    思い出しました。そういえば、そんなタイトルでした。

    DR STRANGELOVE OR : HOW I LEARNED TO STOP WORRYING AND LOVE THE BOMB.

    このサイトの当該ページの原題は、まちがっていますね……

  • Re: 映画の光と闇

    2007/07/31 by 夢寝由来

    > あなたの映画の光と闇とは……
    1kaさんへ
    「マネーメイキング・スタートップ10選出0回」……ちょっと意味がよくわかりませんが…
    アメリカでは毎年、全米の映画館支配人たちによる【俳優の(男優か女優かの区別は無い)誰が観客動員に貢献したか?を】投票で集計し人気を順番に発表する恒例行事です。従って映画情報誌による“読者が選ぶ人気スター”のように編集者たちが順位を改ざんするリスクが無いと思われる真の人気が分かる非情なシステムです。通常1位〜10位までが本邦にも伝わります。
    これによるとオードリー・ヘプバーンは世代や活躍時期の重なるドリス・デイ、エリザベス・テイラー、ジュリー・アンドリュースと異なりトップ10入りは皆無でした。例えば「シャレード」(1963)が興行成績トップ10入りしてもこれはケーリー・グラント(無論トップ10常連)の功績だと判断されていました。
    製作者、監督の役割分担ですか?
    製作者はスタッフ・キャスト等の決定権を有し時には資金調達もする人物、昔は製作費を会社の首脳部に命じられていたが、独立プロ主催者は自分で製作費を決定出来るのでしょう。製作者の上に政策総指揮という肩書きの人物が時には存在します。陣頭指揮をせずに製作費調達と内容に口出しする人物でしょうか?
    監督は昔のアメリカの場合、自動車組み立て工場や建築物の現場監督の如き存在だったらしいです。俳優のセリフのやり取りをチェックし、カメラ班や録音、照明の命じて一日決められた量の脚本を進める担当者。
    理想は製作兼監督という立場で仕事が出来る事でしょうね。しばしば名前の出るセシル・B・デミルがその草分け的存在です。(デミルは自分で銀行まで手中に収めていた。)以後ハワード・ホークスやアルフレッド・ヒッチコック、ビリー・ワイルダーがこの立場で映画を作っていった。
    ジョージ・ルーカス&スティーヴン・スピルバーグのコラボ「インディ・ジョーンズ」3部作がシネスコ画面なのはシネスコ支持派=製作者ルーカスの力関係ではないでしょうか?ルーカスの出世作「アメリカン・グラフィティ」(1973)ではフランシス・F・コッポラ製作だったが、「タッカー」(1988)では立場が逆転しています。これはルーカスの(資金繰り難で映画製作が苦しくなった)師匠コッポラへの恩返しでしょう。
    但し、主演俳優が独立プロを設立し製作者を兼任すると監督は時に悲劇や屈辱を味わう事になりますがこの件は次回に…。

  • Re: 映画の光と闇

    2007/08/01 by 未登録ユーザika

    夢寝由来さん、

    「マネーメイキング・スター」……なるほど、いかに興行成績を稼ぎ出すかというスターのランキングでしたか。ってことは、オードリーでは儲からない……と、こういう認識があったってことですね。よくわかりました。

    「製作者はスタッフ・キャスト等の決定権を有し」……これは、監督の役割かと思っていましたが、製作者の役割でしたか。要するに、監督さえも、製作者に決定されるスタッフの一人であるってことですね。……となると、製作者には、ますます「闇」のイメージが濃いですね。

    「陣頭指揮をせずに製作費調達と内容に口出しする」……こちらの方がはるかに闇かも……。

    「現場監督の如き存在」……要するに、設計者は別にいて、その設計と工期どおりにものごとが進むように監督する方ということですか……。

    「デミルは自分で銀行まで手中に収めていた。」……要するに、銀行家でもあったということでしょうか。

    「主演俳優が独立プロを設立し製作者を兼任すると」……この話、面白そうですね。よろしく。

  • 途中降板監督

    2007/08/01 by 夢寝由来

    > あなたの映画の光と闇とは……

    「現場監督の如き存在」……要するに、設計者は別にいて、その設計と工期どおりにものごとが進むように監督する方ということですか……
    設計者=脚本家ですね。
    映画の場合、監督が脚本を兼任するのも理想かも知れません。監督だけ又は製作兼監督だと客を楽しませる職人的意味合いが濃厚ですが、監督兼脚本だと自分の哲学を伝える作家的イメージです。ビリー・ワイルダーや黒澤明は共同脚本家として名を連ね、ホークスやヒッチコックはノンクレジットですが共同脚本家です。彼らは職人であり作家でもあった訳です。多くの批評家は監督至上主義で自分の理想か思い込みの映評を書くから映画製作で一番偉いのは監督だとファンは思い込んでしまうのでしょう。ヨーロッパ諸国や日本は監督が一番偉いらしいのですが…。
    本題に行きましょう
    「風と共に去りぬ」(1939)クラーク・ゲーブル(又はエージェント)が出演条件としてジョージ・キューカー監督更迭とビクター・フレミング監督起用を製作者に要求しそれが通った。但し二人の女優はキューカーから演技指導を受けた。
    「ミスタア・ロバーツ」(1955)舞台で3〜4年演じたヘンリー・フォンダとジョン・フォード監督が演技と演出方法を巡って対立、フォードが病気を理由に完成前降板、マーヴィン・ルロイ監督が仕上げた。この映画は大ヒットしたがフォンダは後味の悪い嫌いな映画だとコメントしている。フォードは翌年同じWB社で「捜索者」(1956)を成功させて雪辱を晴らしているが、二人はその後二度と組んでいない。
    すいません長くなったのでスター・プロデューサーの話は次回に…。

  • Re: 映画の光と闇 ネタバレ

    2007/08/02 by 未登録ユーザr-ku/skyw0rker

    > 現実の世界はモノからできていますが、映画は光と闇からできています。
    >
    > あなたの映画の光と闇とは……


     はじめまして。

     単刀直入に言わせていただければ(理力に光輝あれ)、以下のとおりです。

    映画の光 = アレック・ギネス

    映画の闇 = ピーター・カッシング

  • Re: 映画の光と闇

    2007/08/02 by 未登録ユーザika

    夢寝由来さん、

    「設計者=脚本家」……なるほど、これは納得ですね。
    家の良し悪しは設計次第。
    映画の良し悪しも、脚本次第……ってことでしょうか。
    最近、やたらリメイクが多いのは、脚本力が疲弊しているということでしょうかね(リメイクでも当然脚本は要るのでしょうが)。
    オリジナルのすばらしい脚本……これが求められているのでしょうね。

    映画の脚本というものは、一部の例外を除いて、外にはださないものですか?
    それとも、なにかのシリーズで出版されていますかしらん?

    共同脚本の場合、脚本作家と監督の役割分担・力配分は?
    なにかしら、デリケートなものがあるような気がします。

    監督・脚本・主演を一人でやっちゃう方もおられるようですが、なにか自家中毒のような気もします。

    「映画製作で一番偉いのは監督」……これは、やっぱりふつうはそう思いますよね。私もそういうイメージは抜け切りません。でも、アメリカではかなり事状がちがいますかしらん?

    アメリカでは、出版の世界でも、一番偉いのは著者ではないみたいですね……日本の出版界では、もう著者は光の帝王のような存在ですが……
    ある編集者の方に聞いた話では、同一箇所に27回赤字を入れた著者がいたとか……。最終稿は結局第2稿と同じになったそうですが……映画の世界でもこういうことはあるんでしょうか?

    スター・プロデューサーの話もよろしく……。


    r-ku/skyw0rkerさん

    はじめまして。

    SWシリーズの光と闇……
    ギネス……光
    カッシング……闇
    ピタリとはまりましたね。

    モフ・ターキン提督がエピソード4で(たぶん)お亡くなりになるので、それ以降出番がなくて残念でした。

    私は老人趣味なので、SWシリーズは「老人映画」だと思っています。
    (「お年寄り映画」といわなくちゃいけないのでしょうか??)

    May the fossil be with you.

  • スター・プロデュサー@

    2007/08/02 by 夢寝由来

    > あなたの映画の光と闇とは……

    私は老人趣味なので、SWシリーズは「老人映画」だと思っています。

    ikaさん、私はSWシリーズを『温故知新』映画だと思っています。キーワードは師弟関係であり、1930年代〜1950年代の西部劇や海賊及びギャング・アクションに於ける芝居の呼吸を遥か彼方銀河系宇宙に移したファンタジー映画という認識です。『老人映画』というと私の苦手な小津安二郎映画を連想しますので…。
    本題に移ります。【仲良し篇】
    ハンフリー・ボガートが1940年代後半≪サンタナ・プロ≫を設立し親友ジョン・ヒューストン監督で「黄金」(1948)「キー・ラーゴ」(同)「アフリカの女王」(1951)を製作。
    クリント・イーストウッドが1968年≪マルパソ・プロ≫を設立し「真昼の死闘」(1970)、「ダーティ・ハリー」(1971)「アルカトラズからの脱出」(1979)等を製作、イーストウッドは撮影中に病気で倒れたドン・シーゲル監督に代わって監督を務めた、シーゲルから演出の技術を習得したのでしょう。他にもケーリー・グラントが独立プロ第1作「ペティコート作戦」(1958)を製作しブレイク・エドワーズ監督の出世作になった。デビッド・ニーブンも1960年代に独立プロを設立し(作品の詳細は不明)富豪になった。グラントやニーブンはハリウッドスターである以前に英国紳士だったから監督との衝突は無かったか稀だったのでしょう。

  • Re: 映画の光と闇

    2007/08/03 by 未登録ユーザika

    夢寝由来さん、

    SWが老人映画……の意味は、エピソード3の掲示板にちょっと詳しく書いてありますので、よろしければご覧ください。「伝承」がキーという点では、夢寝由来さんと基本的に同一解釈であると思います。

    デヴィッド・ニーヴンさんは、お金持ちになられましたか……私は、「北京の55日」で、C・ヘストンとの共演の印象が強い……。確かに、英国紳士の雰囲気濃厚ですね。


    ジャン・ルークさん、

    SWの光……シリーズ6作品

    SWの闇……ジョージ・ルーカス

    ……とも考えられます(あるいは逆かな?)。

    SWの光……エピソード4を見た神戸の映画館(名称忘れ)

    SWの闇……エピソード3を見たシネコン(たぶんMOVIX三好)

    ……かもしれません(30年のときの流れ……)

  • Re: 映画の光と闇

    2007/08/03 by ジャン≒ルーク

    > あなたの映画の光と闇とは……


     結局は、私にとっても、そういうことです。


    映画の光 = 『スター・ウォーズ』   (Ep.4)

    映画の闇 = 「スターウォーズ・サーガ」 全体


     原体験には、なかなか、勝てません。

  • ジョージ・ルーカス万歳!

    2007/08/03 by 夢寝由来

    > あなたの映画の光と闇とは……
    ikaさん、一時「スター・ウォーズ」に路線変更します。プロフィールにも紹介した通り1970年代の映画は私にとって闇そのものでした。期待に胸膨らませて出かけ幻滅して帰ってくる、今度こそと思うが、駄目だったの繰り返し。オールスターキャストのデザスター(パニック)映画を見ても後味が悪かったり…。そんな1978年夏休みにダメモトで見た「STAR WARS」は正に闇の中に一条の光『新たなる希望』だった。オープニングの20世紀フォック伝統シネマスコープのイメージ音楽(アルフレッド・ニューマン作曲)を使っている事から引き込まれっぱなしの2時間だった。ジョン・ウィリアムズによる本作の勇猛果敢なテーマ音楽が実は「バイキング(ヴァイキング)」(1958)の仰々しいマリオ・ナスシンベーニの音楽を下敷きしているらしいです。と言う訳で次回は「バイキング」を製作したカーク・ダグラス≪ブライナ・プロ≫の功績を書きますか?

  • Re: SW音楽の光と闇

    2007/08/04 by ジャン≒ルーク

    > 現実の世界はモノからできていますが、映画は光と闇からできています。


     ジョン・ウィリアムスの音楽にも、当時、そうとうにヤラレてしまっていました。

     「ヴァイキング」のことはよくわかりませんが、当時は、
    「盗作したというレベルではないが、ちょっと、似すぎではないか?」と問題になった楽曲があります。

     それは、ホルスト「惑星」です。
     

     

  • Re: 映画の光と闇

    2007/08/04 by 未登録ユーザika

    夢寝由来さん、ジャン・ルークさん、

    SWに路線変更歓迎です。いろいろお聞かせくださいませ。よろしく。

    映画音楽についても、お詳しければどうぞ。

    光と闇は、すべてを含みますから……
    お二人以外の方々も、よろしければどうぞ。

    「2001年……」もそうでしたが、クラシックがうまく生かされた映画も多いですよね。
    昨日、DVDで見た「アンドロイド」という作品には、バッハの鍵盤曲が実に効果的に使われておりました。

    ところで、私は、最近日本の若いギタリスト(名忘れ)がギターで「惑星」に挑戦したCDを聞きましたが、なかなか良かったですよ。

  • 盗作?パクリそれともオマージュ

    2007/08/04 by 夢寝由来

    > あなたの映画の光と闇とは……
    盗作やパクリと言う言葉はよほど酷似している場合を除き使いたくないですね。余談ですが、1999年頃(だと思う)日本人作曲家K氏がHを訴え敗訴した曲は本当に盗作以外に考えられない酷似でした。「荒野の用心棒」(1964)を製作したイタリアの映画会社は非を認め「用心棒」(1961)の東宝と黒澤プロに謝罪と罰金を支払ったのは有名ですが、世界的に特に日本では盗作の立証が困難だ(限りなく絶望的に近い)そうです。なぜならインテリでお堅い裁判官・検事・弁護士は芸術に無縁な方々が多いので事の重大さが理解不能だからだと言われています。
    “「エル・ドラド」(1966)は「リオ・ブラボー」(1959)に酷似している”と批評家に指摘された両作品の監督ハワード・ホークスは“俺は俺自身から盗んだ”という名言を残しています。
    能書きが長くなりましたが、音楽の場合、相当なマニアが良く聞くと『○○○を下敷き』にしているのではないか?というの状態=原曲からかなりイメージが離れていった曲は影響下又はオマージュだと判断しております。ジョン・ウィリアムズに絞るとジョニー・ウィリアムズ時代初期の「おしゃれ泥棒」(1966)はオードリー・ヘプバーンのイメージに合わせヘンリー・マンシーニ調で、
    「ジョーズ」(1975)は「ゴジラ」(1954)の伊福部昭を意識したような曲です。
    「SW」でスカイウォーカー親子の宿命の対決がテーマの一つですが、これはテーマ音楽を下敷きにしたと推測される「バイキング」のエリック(トニー・カーティス)が実父と知らずに捕えられたラグナー(アーネスト・ボーグナイン)を処刑する事や、姫(ジェネット・リー)を巡って異母兄弟のエイナー(カーク・ダグラス)とエリックが剣の決闘する【決してあってはならない争い】というテーマと重なる事を暗示しているようです。次回は、音楽?スター・プロの第二弾、「ゴジラ」、「SW」の続き、何にします?

  • Re: 映画の光と闇

    2007/08/05 by 未登録ユーザika

    次回は、音楽?スター・プロの第二弾、「ゴジラ」、「SW」の続き、何にします?

    お好きなものからどうぞ。いずれも面白そうですね。

    「ベン・ハー」、「キング・オブ・キングズ」などスペクタクル史劇の印象的な音楽で知られるハンガリー出身のミクロス・ローザは、これらの曲を作る際には、ユダヤの古い音楽など、いろいろ調べてから作曲したという話を聞きました。……こういう場合には、現地メロディーの「盗作」ではなく、インスピレーションのきっかけとした……という表現になるのでしょうね(それにしても、ミクロス・ローザが調べたというもとの曲を聴いてみたいものです)。なお、この人は、映画音楽の作曲家として知られているが、クラシックの現代音楽の作曲家でもあったようで、少し前に神戸のレコード店で、この人の映画音楽ではないCDを発見して驚きました。買いそびれましたが、どういう曲だったんだろう……

    私は、この人の曲が大好きで、とくに 「キング・オブ・キングズ」に付けられた曲は、なにか特別な印象があります。2度づつずれていく長和音の響きがなんともスペクタクル……で、とうとう楽譜まで買ってしまいました。この曲についてはどこかで書いたような気もしますが……オリジナルサウンドトラックはオーケストラと合唱なのですが、私が持っている2つの別の演奏バージョンでは、両方ともなぜかボレロのリズムに乗って演奏されています。一つはアメリカ?のフルオーケストラで、もう一つは、日本のエレクトーンとブラスセクションの合奏という希有な?パフォーマンスです。……ところで、この映画で主役のイエスを勤めた青い目の美形俳優、ジェフリー・ハンターさんは、その後、どうなったのでしょうね?

    「ベン・ハー」での印象的なシーン。ローマ兵に捉えられた ベン・ハーが、他の奴隷とともに砂漠の行進で……オアシスに着いても、なぜか ベン・ハーだけは水を飲むことを許されない……乾きに苦しむ彼の前に、白い衣の足許が現われて、柄杓に汲んだ水を差し出します。……そのとき、それまで行進曲風だった暑苦しい音楽が、突然オルガンの清澄な調べに変わります。「イエスのテーマ」です。……当時は、キリストの顔をまともに描くことは控える風潮があったのか、映るのは足許だけですが、音楽の突然の変調で、見事に「イエスの出現」を現わしておりました。このイエスのテーマは、序曲の冒頭などに見られるように、映画全体では荘重に演奏されることが多いですが、この部分のオルガンバージョンは、映画全体の中でも最も澄み切った部分として、強く印象に残っております。

    SW中では、「フォースのテーマ」が同様に印象的ですね。ルークがベン・ケノービとはじめて(というか成人してからはじめて)出会い、 ケノービの家で「真実」をいろいろ聞かされるシーン……ここで、 ケノービがフォース(昔は「理力」)のことを語りはじめると、音楽が突然変わって「フォースのテーマ」になる……そこのところがすごく印象に残っております。「すべてのものに浸透し、銀河系全体を結びつける力……」しかし、映画も音楽もすぐに転調し、ルークは「home!」と叫んで家に向かう……この場面は、先の 「ベン・ハー」におけるキリストの出現シーンとまったく同様の音楽語法によっているように感じます。変転してやまない現世に「永遠の相」を見る……というところでしょうか。

  • Re: 映画音楽の光と闇

    2007/08/05 by ジャン≒ルーク

    > 現実の世界はモノからできていますが、映画は光と闇からできています。
    >
    > あなたの……


     ジョン・ウイリアムス氏と並び称される「映画音楽」の大家に、

    ジェリー・ゴールドスミス 氏

    がいました。

     「いました」というのは、ご承知の方も多いかと思いますが、近年、なくなられたからです。

     自分ははじめ、SWなどの「シンフォニックな」映画音楽へのあこがれから、J・ウィリアムズのことは調べたりもしていたのですが、J・ゴールドスミスについては、あまりよく知りませんでした。

     自分の中で、彼が決定的に「より大きな」存在となったのは、
    映画『スター・トレック(ザ・モーション・ピクチャー)』
    において、彼が「勇壮かつチャレンジングな」(いい日本語がみつかりません)スコアを、作曲してからでした。

     結果的には、イマの自分にとっては、こういうことに、あいなっている様子です。


    映画音楽の光 = J・ゴールドスミスに代表される、シンフォニック・スコア

    映画音楽の闇 = スコアの「輝き」を増幅させる映像美

  • Re: 映画の光と闇

    2007/08/05 by 夢寝由来

    > あなたの映画の光と闇とは……

    ikaさん勝手に「ゴジラ」に行かせて下さい。
    7/8の気になっていたレスです。
    「ゴジラ」なんかでも、カラーになると特撮のちゃっちいところなんかが…
    カラー・シネマスコープになってからは同伴の親父受けやアメリカ公開を意図している営業戦略が垣間見えます。「キングコング対ゴジラ」(1962)は特急列車を襲撃する闇のシーンも印象深いが初作では片目と心に傷を負った闇の人=芹澤博士(平田昭彦)が今回、重沢博士(同)として登場し傲岸不遜で記者たちの質問に答える光の人へ変貌している。ゴジラはクライマックスの格闘でキングコングにプロレス技ドロップキックを喰らわせます。これは当時のNWA認定世界へビィ級チャンピオンだったパット・オコーナーの得意技です。「怪獣大戦争」(1965)はラドンを相棒にX星まで出張させられそこでキングギドラにフライングボディシザースを喰らわせます。これも同・チャンピオンだったルー・テーズの得意技。キングギドラ退散直後におなじみイヤミのシェーをやりますが、X星基地やX星人、特に威厳ある統制官(土屋嘉男)は闇のイメージそのものだったのがむしろドラマとしては救いでした。

  • スター・プロデューサーA

    2007/08/05 by 夢寝由来

    > あなたの映画の光と闇とは……
    【カーク・ダグラスのブライナ・プロ】
    1950年代、ダグラスの親友で好敵手バート・ランカスターはヘクト=ランカスター・プロを主催し「真紅の盗賊」(1952)、「アパッチ」(1954)、「ヴェラクルス」(同)、「空中ぶらんこ」(1956)等で絶好調、ブライナ(ダグラスの母親名)・プロ主催のダグラスは起死回生のヒット作「バイキング」(1958)を成功させたが、それ以上のヒットを狙って「スパルタカス」(1960)を企画し、アンソニー・マン監督で撮影開始されたが、会社首脳命令でマンを2週間で更迭、丁度、マーロン・ブランドの「片眼のジャック」(1961)をクランクイン目前に喧嘩別れしたスタンリー・キューブリックを抜擢し映画は大成功、しかし主導権を全く握れずダグラスの言いなりだった不満からキューブリックは自分の出世作である「スパ…」を嫌いな作品だとコメントしている。アンソニー・マンは翌年「エル・シド」(1961)で雪辱を晴らし、ダグラスは謝罪の為にマン監督の「テレマークの要塞」に主演し謝罪という男のケジメをつけている。また「5月の7日間」(1964)製作では「終身犯」(1962)で大喧嘩したバート・ランカスターとジョン・フランケンハイマー監督の和解にも一役買っている。
    一方「片眼…」はブランド自身が監督したものの大幅な撮影日数と製作費をオーバーし失敗、続く「戦艦バウンティ」(1962)で「片眼…」を上回る惨敗(+監督2人を更迭等)をしてトラブル・メーカーのレッテルを貼られ、その後俳優業一本に絞り10年後「ゴッド・ファーザー」(1962)でやっと復活。

  • Re: 映画の光と闇

    2007/08/06 by 未登録ユーザika

    「ジェリー・ゴールドスミス」……

    ジョン・ウィリアムスと「双璧」と称される現代映画音楽界の「巨匠」ですが、お亡くなりになりましたか……ナンマンダブ……

    「双璧」なのに、私にはなぜか印象が薄い……「スタートレック」のほかにも「エイリアン」とか「オーメン」とかいっぱいあるのに……

    日本でいうと、宮崎アニメで有名な久石譲さんがジョン・ウィリアムス、攻殻……に音楽をつけた川井憲次さんがジェリー・ゴールドスミス……というところでしょうか。


    「ゴジラ」……

    詳しく覚えておられますね……

    私も見ているはずなのですが、ほとんど覚えていない……「しぇー」のみは記憶にありますが、「なんと情けない!」とがっくりした覚えがあります。もはややることはないのか……と。

    「ゴジラ」シリーズは、「核」問題といういわば大人向けのシリアスな部分と、「怪獣もの」というエンターテインメントの子供向け部分が常に合体融合してつくられてきましたね……
    「核」問題……闇
    「怪獣もの」……光

    子供向け「怪獣もの」という「光」の部分がなければ、シリアスな「核」問題は当時、もっとアメリカを刺激したことでしょう。「児童文学」においてもそうですが、シリアスなものを扱う場合には、「子供向け」を一種の隠れ蓑にすると、無用な批判を掻きたてることなく相当のことが言える……ということはあると思います。

    でも、私にとっては、「ゴジラ」シリーズは、なぜか余り印象に残らず、かえって「地球防衛軍」とか「妖星ゴラス」なんかの方がはっきりと残っています。今DVDで見返しても、けっこうまじめにがんばって作ったSFだなあ……と思います。「ウルトラマン」も、それ以前の「ウルトラQ」シリーズの方が面白かった。怪獣だけになると、興ざめ……という傾向はあるようです。

  • Re: 映画の光と闇

    2007/08/11 by 夢寝由来

    > あなたの映画の光と闇とは……

    「地球防衛軍」とか「妖星ゴラス」なんかの方がはっきりと残っています。今DVDで見返しても、けっこうまじめにがんばって作ったSFだなあ……と思います
    ikaさん同感です。
    本多猪四郎+円谷英二コラボの東宝SF特撮映画では「地球防衛軍」(1957)が初のカラー・シネマスコープ作品でした。円谷氏亡き後「惑星大戦争」(1977)は当初「スター・ウォーズ」(同)で使う予定だった邦題を(同じ配給元の東宝が)先に使ってしまったいきさつがあります。「惑星…」は(同時まだアイドル歌手だった)浅野ゆう子の太ももが唯一の見せ場という駄作で20年前の「地球…」の方がずっと優れていたというファンに応えて春休みのリバイバル公開されました。
    本多+円谷SF特撮映画では他に「電送人間」“闇の男である戦傷軍人の復讐”(1960)、「海底軍艦」“闇の世界ムー帝国”(1963)が印象的です。音楽は伊福部昭の独断場、俳優では平田昭彦氏がNo.1でしょう。

  • Re: 映画の光と闇

    2007/08/11 by 未登録ユーザika

    夢寝由来さん、

    「スター・ウォーズ」が「惑星大戦争」!ですか……まあ、いわれてみればほぼまんまの訳ですが……
    そうすると、「惑星大戦争・挿話3・シスの復讐」……なんてことになってたかも……ですね。
    中国では、「星間大戦」でしたか「星間戦争」でしたか……なんか、感じの近い訳ではなかったでしょうか。
    ……「スター・ウォーズ」になって、よかったですね。
    あのころは(エピソード4の封切りのころは)、邦題が、いろいろ考えてつけるタイプから、原語そのまま音読みカタカナ表記に移行しつつあった過渡期のような気がします。どっちにころんでもおかしくなかったわけですね。
    「電送人間」、「海底軍艦」、「闇の世界ムー帝国」は未見ですが、面白そうですね。さがして見てみます。
    私は、「地球防衛軍」で、地中から宇宙人のドームが迫り上がってくるシーンがなぜか好きで、そのシーンだけ、こどもの頃、よく絵に描きました。
    どこがよかったんだろう……?
    そういえば、 「スター・ウォーズ」の封切り直前に「宇宙からのメッセージ」という邦画が公開されました。私は見なかったんですが、見にいったSF好きの友人が、「いやあ、特撮はかなりのもんだよ」といってました。どうだったのでしょうか……(見ればわかるのですが)

  • スター・プロデューサー完結篇

    2007/08/12 by 夢寝由来

    > あなたの映画の光と闇とは……
    ikaさん、シリーズ最終はバート・ランカスターで行きます。彼を国際派名優と定義付けするファンは「山猫」(1963)や「家族の肖像」(1974)が光でアクション映画が全部闇、私はその正反対。
    彼はスター・プロデューサーとしてヘクト=ヒル=ランカスター・プロを主催(1950〜1962年)、解散後も「大列車作戦」(1964)を製作している。→<リンクURL>
    話を一時脱線させるが、私は1980年代前半に神田の古本屋で『スクリーン1964年12月号』を入手した。それに折込ポスター付録で表が当時撮影中「ハレルヤ街道」のランカスター軍服姿、裏が「大列車作戦」の公開前ポスターで両面共ランカスターだった。「ハレルヤ街道」は翌年「ビッグトレイル」という邦題で公開された、テクニカラー・ウルトラパナビジョン70mm方式の西部劇。「大列車作戦」は白黒・ビスタサイズ(本邦ではシネスコサイズで公開されたらしい)の米・仏・伊共同の国際派大作。どちらが、映画史に残る名画か?当然「大列車作戦」。
    「ビッグトレイル」はエルマー・バーンスタインの格調高い音楽がなかったら今で言う『お馬鹿ムービー』になっていたかも知れない。何しろ騒動が起きてランカスターが馬で颯爽と駆けつけた時は既に後の祭り状態を再三繰り返し客に肩透かしを喰らわせたまま終わるのだから。一方「大列車作戦」は実話を元にしただけあって説得力を持ちランカスターは演技の緩急を巧みに使い分け得意のアクションも存分に見せる生涯の代表作になった。少し前の話題に戻るが白黒映画がカラー映画に興行成績面も含め圧勝した例です。

  • Re: 映画の光と闇

    2007/08/13 by 未登録ユーザika

    夢寝由来さん、

    シリーズ完結おめでとうございます。
    私には未見の作品も多くて、実感できないところも多々ありましたが、ずいぶん勉強になりました。

    次は、どのようなシリーズで展開されますでしょうか……

  • フランスvsアメリカ

    2007/08/14 by 夢寝由来

    > あなたの映画の光と闇とは……
    ikaさん個人的に思い込みの強い「大列車作戦」の補足です、製作:ジュールズ・ブリッケンと表記されていますが、バート・ランカスターが闇のプロデューサーだった事は周知の事実です。当時のパンフレットには“当初アーサー・ペン監督だったがセットで10日程撮影し突然帰国した”と記されてますが、多くの証言からランカスターに更迭され後任としてお気に入りのジョン・フランケンハイマーが呼ばれたそうです。ペンの撮ったシーンが使われたか全て撮り直したかは不明です。
    『女優ジャンヌ・モロー型破りの聖像(イコン)』(日の出出版)でランカスターの事を“灰皿一つ持ち上げる動機付けを1時間も議論する俳優”と悪いイメージを持ってアクターズ・スタジオ出身だと思いんでます。ランカスターの演技は独学なのに。本当は演技よりもペンを解雇した事を怒っている様に思えます。
    続けて他のフランス女優の自伝を紹介します。
    フランソワーズ・アルヌール自伝『映画が神話だった時代』(カタログハウス)で自分が「ヘッドライト」撮影中すぐ近くで「空中ぶらんこ」(1956)を撮影中だった、“アメリカのスタッフは専門領域の間に確固とした境界があるが、フランス人スタッフはそんなものを飛び越えて仕事していた。アメリカ人は強調精神(臨機応変)をフランスで発見した。”少し美化してしかしフランスの方が優秀だという発言に受け取れます。
    ブリジット・バルドー自伝『イニシャルはBB』(早川書房)でアメリカ映画「ボクいかれたヨ!」に本人役でゲスト出演したエピソードで自分が住んでいる家とは大きく異なるセットを組み主演のジェームズ・スチュアートの演技を完璧な機械と酷評している。
    ランカスターの親友カーク・ダグラスは自伝『くず屋の息子』(早川書房)で、“ヨーロッパから海を渡ってこちら(アメリカ)の映画界を汚染している作家主義に疑問を感じる、作家主義とは監督を映画の創造主と見なしているが映画は共同作業の賜物だ”と怒っている。
    フランス映画とアメリカ映画はどこまでも融合しない気がします。

  • Re: 映画の光と闇

    2007/08/15 by 未登録ユーザika

    「フランス映画とアメリカ映画はどこまでも融合しない」

    映画における「融合」とは……?

  • Re: 映画の光と闇 ネタバレ

    2007/08/21 by ジャン≒ルーク

    映画における「融合」とは、

    ジャン=リュック・ピカード

    が、「なにじん」であろうとも、

    「ハリウッド映画」の主役をはれる

    という「事実」です。

     そして、このことが、私にとっての

    「映画の光」そのもので、あります。

  • Re: 映画の光と闇

    2007/08/21 by 未登録ユーザika

    どちらかといえば、
    ピンバッカーさんの方が「融合的」では……?
    (なんせ、核融合しちゃってますから)
    もう、光そのものですし……

    ジャン=リュック・ピカードというお名前は、適宜にフランスぽいですが……
    もし、プンクトリュッケルという艦長さんがおられたら、英(米)・独・仏の3ヶ国語が揃いますね(揃ってどう……というわけでもないけれど)。

    ところで、ネモ艦長は、なにじんなんだろう……

  • Re: 映画の光と闇

    2007/08/22 by 未登録ユーザika

    ネモ艦長についての返信を書く前に、クワトロ=ヴァギーナさんのその件の投稿がなぜか削除されちゃったんですが、とりあえずお返事を。

    ピカード艦長は、やっぱり実際にフランス人でしたか……。

    ネモ艦長も、(原作では)やっぱりフランス人のように思いますが、私も読んだのが大昔なので、定かではありません。映画の『海底2万マイル』では、不思議な形(扇形)のパイプオルガンを奏でるシーンが印象に残っております。
    ……あのシーンは、なぜか巨大生物との戦闘シーンなんかよりはるかに印象的で、人間の記憶の残り方ってふしぎだなあ……と思います(「密林の聖者」シュバイツァー博士のことも思い出しました)。

    闇の海底に響くネモ艦長のパイプオルガンの音は……暗い密林に響いたであろうシュバイツァー博士のバッハと同じく、私にとってはなぜか「光」です。

    『リーグ・オブ・レジェンド』において、ネモ艦長がインド人になっていたのには私も驚きましたが、この設定は、私には、小説『ルパン』シリーズの『奇岩城』(だったと思う)を思い起こさせるものです(アニメシリーズの「ルパン3世」ではなく、モーリス・ルブランの原作の方)。

    この小説の最後の方で、たしかムーア人が潜水艦に乗って登場しますが(ルパンの仲間として)……ムーア人は、イスラム教徒ですから、西洋人にとっては『リーグ・オブ・レジェンド』のネモ艦長のような姿だったのではないかと勝手に想像いたします。

    イスラム世界は、キリスト教徒にとってかたき同士というイメージが今では強いですが(とくに9.11以来)……一方では、西洋のしらなかった神秘と学術の東方世界……というイメージも相変わらずあるようですね。

  • Re: 映画の光と闇

    2007/08/23 by 夢寝由来

    > あなたの映画の光と闇とは……

    ikaさん、ご無沙汰してます。
    ところで、ネモ艦長は、なにじんなんだろう……
    「海底2万哩」のネモ艦長(英語ではキャプテン・ニーモと発音)はインド人です。イギリスがインドを植民地にしてた時代の話で、ディズニー映画ではネモ艦長をイギリス男優のジェームズ・メイソンが演じていた関係で、ネモ艦長が(戦争を止めさせる目的で)潜水艦ノーチラスで襲撃する火薬を搭載した軍艦が国旗なしの国籍不明でした。つまりインド人のイギリス人への復讐が闇のテーマのでした。

  • Re: 映画の光と闇 ネタバレ

    2007/08/24 by ジャン≒ルーク

     薀蓄ばかりかたむけていると、どうしても言いたいことがピンボケするので、短めにします。

     ジュール・ヴェルヌの原作『海底2万リーグ』のラスト近く、主人公は、半ば号泣しながらパイプ・オルガンを奏でる
    ネモ船長の後姿を、偶然にもコッソリと「目撃」してしまいます。

     彼は、パイプ・オルガンを独り、奏でながら、こう、叫んでいました。

    「全能の神よ! たくさんです。もう、たくさんです!」

  • Re: 映画の光と闇

    2007/08/24 by 未登録ユーザika

    夢寝由来さん、

    ネモ艦長は、インド人でしたか!
    ご教示深謝です。すると、「リーグ・オブ・レジェンド」の描写が実は正しかったということになりますね……
    人間の思いこみというのは、おそろしいものです。
    (完全に白人と思いこんでいた。もっとも、アーリア人だったら、結局白人に近いわけだけれど……)

    「ネモ」という名前は、ちょっと国籍不明の感じですが、これもインドの姓なのでしょうか?
    「インドのイギリスへの復讐」だったのですか。なるほど。
    ディズニー版『海底2万哩』は、闇の部分が封印されていたために、思いがけず普遍的な?印象を与えることになったといえそうですね。

    ところで、この話で私が思い出すのは、かわぐちかいじ氏のマンガです。
    たしか『沈黙の艦隊』というタイトルでしたっけ?……私は半分しか読んでないのですが(なんせ長い)、ネモ艦長とノーチラス号の日本版という印象でした。
    (でも、モーツァルトだけはいただけませんでした。なんでモーツァルト?こういう場面の音楽選択は、命取りになりかねない……)

    すべての潜水艦は、潜在的な独立国家である……??
    (ただし、「補給」の問題が解決すればですが)


    J=L・ゴダールさん

    「全能の神よ! たくさんです。もう、たくさんです!」……

    これは、私も、そう思います。

    物語が成功するかどうか……
    それは、ひとえに、こういうシーンで、読者が主人公(というか、この場合ネモ艦長)に感情移入できるか否かにかかっていると思います。

    この部分だけ取り出しても、そのことがわかる……
    その分だけ、「ネモ艦長」は、人類の「原型的」キャラクタになりかかっているのだと思います。
    「水底に葬られしイエス」……かな?


    みなさんへ

    明日から2、3週間くらいの予定でちょっと修行?に出ますので、書きこみを頂いてもおそらく返信ができない状態になると思います。

    スレを立てておいて無責任な話で申し訳ありませんが、9月半ばまでには戻る予定ですので、それまでは失礼いたします。

    このスレは、みなさまの楽しい意見交換の場として使っていただけましたら幸いです。

    残暑が厳しいですが、みなさまお元気でお過ごしください。またお目にかかりましょう!

  • Re: 映画の光と闇

    2007/08/25 by ジャン≒ルーク

     いってらっしゃいませ。

     ただ、「修行」などというものは「ほどほどに楽しんだほうがイイ」ですよ。

     私にできることは…

    やっぱり「コトバ」に「仮託」するしか、できないですね。

    ではまた。


    「シー・ユー・レイター、アリゲイター。
    イン・ア・ホワイル、クロコダイル。」

      『ハイペリオン』ダン・シモンズ/著(早川書房)

  • ネモ艦長のパロディ

    2007/08/26 by 夢寝由来

    > あなたの映画の光と闇とは……
    ikaさん不在中でしょうが、情報として…
    「グレート・レース」(1965)でフェイト教授(ジャック・レモン)が潜水艦ドクロの潜望鏡で両手の親指を潰しその後、両指を包帯まみれの状態でパイプオルガンを弾くシーンがあります。たぶん「海底2万哩」のネモ艦長(ジェームズ・メイソン)が弾く曲と同じだったと思います。「グレート…」ではストーリー展開上特に重要じゃない脈絡もないシーンですが笑えます。

  • 『妖精写真』 VS 『フェアリーテイル』

    2007/11/24 by ジャン≒ルーク

     この長大なスレをサルベージしなければならなくなったことに関しては、正直なところ、ちょっと嬉しかったりします。

     この場で私が自分ではじめておいた『妖精写真』と『フェアリー・テイル』について、ようやく、詳しい状況が把握できたのです。

     この問題は実は、コレクションの整理から再発しました。「劇場用パンフレット」です。

     先にこの2作についてお話したときには、自分が観たのは『妖精写真』のほうかと思い違いをしていました。
     私が、劇場公開当時、映画館で観たのは、じつは『フェアリー・テイル』のほうでした。そちらの「パンフ」が発見されたのです。

     ハリウッドでもよくある話ですが、1997年というこの年、「コティングリー妖精事件」をネタに、イギリスで2本の映画が製作されました。

     そういう「確信」はあったのです。が、ついさきほどまで、それを「検索エンジン」でうまく引っ張ってこれませんでした。

     しかし、やっとつかみました。

     『妖精写真』は、「公式」には、ビデオ・タイトルに則り『大人のための残酷童話/妖精写真』になっていたため、「検索エンジン」にひっかかりにくくなっていたのです。

     でも『妖精写真』って、劇場公開してませんかね〜。複数の映画サイトで「日本劇場未公開」となっているので、間違いはないとは、思いますが。

     なんとなく、当時、どちらを観ようか迷ったあげくに『フェアリー・テイル』のほうを選んだ、という記憶が甦ってきたんですよね。私の記憶ほど、あてにならないものはない、ですケドも。

     ika さんは、やっぱり、ビデオですか?

  • Re: 映画の光と闇

    2007/11/25 by 未登録ユーザika

    ビデオです。
    もっとも、私は、『妖精写真』の方しかみていません。
    『フェアリー・テイル』は未見。というか、一つの事件から2つの映画ができたことなど全く知らずに、『妖精写真』はたまたま見た……という案配です。
    実に、ロマンチックな作品だったと記憶しております。
    現象的なもの以上に、「見えない世界」に価値をおく姿は、プラトン以上にプラトニックじゃのう……と、変な感想を抱いたことを記憶しております。
    19世紀というのは、いろんな意味で、「夢見る時代」でしたね……(といって、私は生きてはおりませんが)。

  • Re: 映画の光と闇

    2007/11/26 by ジャン≒ルーク

     やっぱりビデオでしたか。

     「2つの映画から選んだ」というのは、私の妄想でしょう。

     『フェアリー・テイル』のほうは「事件」の当事者姉妹に、力点がおかれた映画で、妖精の描写などは、ネット上の情報によれば、こちらのほうがよいようです。
     サー・アーサー・コナン・ドイル(役者忘れました)はもちろん、こちらでは当時の天才マジシャン、フーディニ(ハーベイ・カイテル)まで、物語にからんでました。

     ところで『フェアリー・テイル』のほうはDVD化されているため、検索にもひっかかりやすく、ひょっとしたらDVDレンタルで置いてる店もあるカモ、なんですが、『〜/妖精写真』のほうは、邦版ビデオはとうに廃版、DVDはおろかLD化さえ、されていないようで、今となっては、洋版ビデオを入手する(あるいは、デジタル率がまだあまり高くないレンタル店を、根気よくめぐる)しか、ないようなのは、残念です。観てみたい気が、するのですが。

  • Re: 映画の光と闇

    2007/11/26 by 未登録ユーザika

    『フェアリーテイル』には、コナン・ドイルに加えてフーディニー氏も……
    そりゃ、豪華ですねえ……
    『妖精写真』の記憶はだいぶ薄れておりますが、コナン・ドイル氏は、なかなか重要な役回りだったように覚えております。
    (あまり肯定的ではなかったような……)

    面白いのは、「妖精」というアチラの世界の存在と、「写真」という当時の最先端科学技術の理不尽な結合……
    でも、考えてみると、今でも「心霊写真」とか、「念写」とかあるみたいですから、あんまり変わっていないかも。
    今の技術の最先端はやっぱりコンピュータ?……なら、PCに棲む幽霊……なんか、ありそうですね。
    『2001年……』のHALの変貌ぶりは、まさにそんな感じでしたけど。

    考えてみると、19世紀という時代は、人類の知恵の最先端である科学技術も進歩したけれど、その反面、妖精や心霊や魔術……といった闇の部分もまた色濃く支配していたような気がします。
    日本でいうと、幕末から明治にかけての時代ですが……なにか、ここに、人類の運命のわかれみちがあったのではないか……と感じます。

    この時代に、もし、100点を取らないと先に進めない……という考え方が徹底して行われたなら、その後の人類文明の在り方も、今とはかなり違ったものとなっていたことでしょう。
    でも、現実には、100点でなくてもどんどん進んでいいよ……ということになったので、20世紀は戦争と殺戮と環境破壊の悲惨な時代となりました。
    『妖精写真』のような映画は、やっぱり、なにか「人類の忘れもの」を思いおこさせますね……

    夢寝由来さん、

    このスレの最後の方に、「ネモ船長のパロディ」を書きこんでいただいていたのでした。
    「グレートレース」は、劇場公開時と、あとテレビ放映で見ていると思うのですが……包帯の指でパイプオルガンを弾くシーンは、覚えていません。
    しかし、実によく覚えておられますね……
    私は、2,3カ月で50%、1年たつと90%近くが忘却の彼方に流れ去ります。
    ここに投稿するようになって、少しきちんと見るようになり、若干改善はされたようですが……

  • Re: 映画の光と闇

    2007/11/27 by 未登録ユーザika

    上の私の書き込みで、19世紀のことを書いておりますが、調べてみますと「コティングリー妖精事件」そのものは20世紀初頭でした。
    (思いこみで19世紀末と勘違いしていました)
    したがって、映画『妖精写真』の舞台も、20世紀初頭であると考えられます。
    ドイルが、妖精や心霊にとりつかれてしまったのも、晩年に入ってから、すなわち20世紀になってからのことのようです。
    誤解を生じかねない文章で、失礼しました。
    補足まで。

  • Re: 映画の光と闇

    2007/12/02 by 夢寝由来

    ikaさnお久しぶりデス。
    「グレート・レース」は好きな作品の一つで何度も繰り返し見ているから細かいギャグも覚えているのです。

    > あなたの映画の光と闇とは……

    光=「ALWAYS/三丁目の夕日」正編&続編

    闇=完成度や知名度が高い名画を話題性だけ狙った安易で無謀なリメイク映画の数々、その題名記すに値せず。只一言“ああいうやつは好かねエ!反吐が出そうだ!!”

  • Re: 映画の光と闇

    2007/12/02 by 未登録ユーザika

    グレート・レース……

    トニー・カーチスの真っ白な歯がキラリ!と光るシーンだけは、鮮明に覚えています。
    トニー・カーチス……
    トニー・カーティス……
    どちらの表記が正しいのでしょうか……。

    ALWAYS/三丁目の夕日……
    私は1しか見ていませんが、なかなか良くできていましたね。
    西岸さんの原作も、一部しか読んだことはないが、原作の運転技術はきちんと踏襲しているように思った。

    原作は、別れ道で、必ず性善説を採るが、この作品もそうですね。
    どちらを採ることもできるけれど、性悪説は採らない……というのは、一つの明確な方針であると思います。
    ふつうの作品は、ここまで徹底して性善説を採らないから、ふつうにできますが……
    この作品は、そのあたりの運転方針が徹底しているせいで、ともすれば異常なイメージを持たれるのかもしれません。
    しかし、それ自体は制作側の考え方であると思います。
    夢寝さんのおっしゃるように、徹底して光の側に立つ作品ですね。

    安易で無謀なリメイク映画……
    要するに、いい脚本が少ないということなのでしょうか。
    「これはあたるぜ!」と製作サイドを納得させるに足る脚本が……

  • Re: 映画の光と闇

    2007/12/02 by 夢寝由来

    > あなたの映画の光と闇とは……

    光=お客さんをに楽しんでもらおうという誠意ハートを感じる映画
    闇=客を置き去りにした芸術映画や冷徹なビジネスしか感じない映画

    >安易で無謀なリメイク映画……

    ヘンリー・ハサウェイ(※)監督は生前に“ハリウッドは自分の屍を喰いながら生き続けている”とコメントしています。これが何年頃の発言かは不明ですがネタが枯渇すると忘れられた旧作をリメイクしたり使い古されたプロットを再三利用してアニメ化したり(現在ではCG利用の最新映像としてリニューアルする)のビジネスを続ける事を言っていると解釈出来ます。これはハリウッドだけじゃなく日本を含む映画界全体に言える事でしょう。

    >いい脚本が少ないということなのでしょうか。
    過去の蓄積データを生きた人間の目ではなく冷徹なコンピューターの判断に頼ってはじき出された結果を脚本として採用するから画面がいかに綺麗でも血が通っていないから…ついて行けません。

    まあ駄作リメイクが登場すれば逆に傑作オリジナルが再評価される向きもあると思えばリメイク乱発も映画界の進むべき選択肢かも知れません。

    注※(1898〜1986)ゲーリー・クーパー主演「ベンガルの槍騎兵」(1935)や「悪の花園」(1954)、マリリン・モンローの「ナイアガラ」(1953)、ジョン・ウェインの「アラスカ魂」(1960)や「勇気ある追跡」(1969)等の傑作を作っているが実績の割に過小評価されている娯楽映画の巨匠。

  • Re: 映画の光と闇

    2007/12/03 by 未登録ユーザika

    映画の光と闇……

    映画の「作品」としての側面……光
    映画の「商品」としての側面……闇

    これは、一番簡単な割り切り方かも。

    映画の「芸術性」としての側面
    映画の「娯楽性」としての側面

    これは、どちらが光でどちらが闇なのか……意見が分かれるところかもしれません。

    あるいはまた別の分け方として、

    映画の「物語性」としての側面
    映画の「見世物」としての側面

    というのもあるかもしれません。

    x軸に、映画の「作品性」と「商品性」をとり、
    y軸に、映画の「芸術性」と「娯楽性」をとり、
    z軸に、映画の「物語性」と「見世物」をとる。

    こういう「映画空間」に、これまでのいろいろな作品をプロットしてみる。
    この作業を、1年ごとに行う。
    たとえば、「2007年の映画空間」、「2006年の映画空間」……
    あるいは、洋画と邦画に分けてみるとか、アニメと実写に分けて行うとか……

    果たして、意味のある作業になるものでしょうか……??

  • Re: 映画の光と闇

    2007/12/23 by 夢寝由来

    > あなたの映画の光と闇とは……

    去年は耐震偽装、今年は表示偽装、
    偽=闇=膿=改ざん=批評家の得意技

    批評家は映画が成功するとその全てを監督の手柄にしてしまう。彼らはまるで世界中の映画監督が黒澤明のような立場で映画作りをしている様な錯覚を読者に与えてしまう文章で平然と書く。日本やフランス、イタリアは監督至上主義が一般的ですから、そうあるべきだと思い込んでいるのでしょう。
    例@:「ベン・ハー」(1959)公開当時著名な批評家N氏は“巨匠ウィリアム・ワイラーは海賊襲撃と戦車レースという二大見せ場を提供してくれた”などと厚顔無恥な事を書いていたが、現実はアクションシークエンス専門監督アンドリュー・マートンと(特に後者は)No.1スタント・コーディネーターのヤキマ・カヌートが手がけたシーンであり、今では常識ですね。
    例A:「スパルタカス」(1960)で批評家Sは“スタンリー・キューブリックはハリウッド製スペクタクルで見事に自己主張をやってのけた”なんて支離滅裂を書いているがキューブリック自身は“当時失業中でカーク・ダグラスに雇われてしぶしぶ引き受けた。ダグラスと脚本家ダルトン・トランボの言いなりだった”とコメントしている。
    8/1投稿の復習になりますが映画は共同作業の賜物です。だから自分を感動させているものは何か(逆も真ナリ)?を時々振り返る事も良いです。即、監督名が登場する作品が何本あるでしょう?!俳優?音楽?撮影技術?ストーリー?…
    今年を振り返りあなたを感動させた要因は何でしょう?

  • Re: 映画の光と闇

    2007/12/25 by 未登録ユーザika

    夢寝由来さん、

    「 今年を振り返りあなたを感動させた要因は何でしょう?」

    これは、興味深い問いかけですね。
    どなたも返信を書かれないのはもったいないので、私の場合で書いてみます。

    「感動させた要因」というのとは、少し違います(というのは、私は、映画で「感動」することがあまりないので)。

    むしろ「気になる要因」といった方がいいのですが……

    「なぜ、その映画をつくろうと思ったのか?」

    私は、これが一番気になりますし、逆にこの点がクリアに理解できれば、非常にすっきりいたします。

    その時代の社会、空気の中で、監督さんなりプロデューサーなりが、「よし、つくろう!」と思う。
    これは、必ず、その同時代性を反映していると思われ……

    そこがわかれば、映画から、今自分の生きている時代を、少し理解できたように思えるから……
    それを、「感動」といえばいえるのかもしれませんが。

  • Re: 映画の光と闇

    2007/12/25 by 夢寝由来

    ikaさん、あまり真面目に考えないで下さい。
    もっと気楽に行きましょう。
    >今年を振り返りあなたを感動させた要因は何でしょう?  
    私の問い掛けが曖昧でした。以下の如き例です。
    今年あなたが劇場で見て感動した作品。
    或いは幻の名画をDVDで入手出来た。
    「守護神」ケビン・コスナーが復活した。
    「ホリデイ」キャメロン・ディアスに逢えた。
    ○○のCGに興奮した。
    ××の画面が美しかった。etc
    私はスターを中心に見る客だから回答は偏りますが人によっては自分を感動させた要因について監督や音楽又は撮影等スタッフの技術を挙げる方もいるでしょう。そのレベルです。

  • Re: 映画の光と闇

    2007/12/26 by 未登録ユーザika

    では、その線で……

    「今年あなたが劇場で見て感動した作品」
    『バベル』と『パンズ・ラビリンス』の2本ですね。
    「感動」というよりは、もう少し複雑な思いなんですが。

    「幻の名画をDVDで入手出来た」
    『地球が静止する日』……たまたま中古店で発見。即買い。

    ケビン・コスナー氏とキャメロン・ディアスさんは申し訳ありませんがパス。

    「○○のCGに興奮した」
    興奮……とまではいかないが、『エクスマキナ』かな。(空間表現)
    もう、CGで興奮することは、この先ないんじゃないかな……とも思います。
    (技術はいきつくところまでいきついたように思えますが)
    『ベオウルフ』未見ですが、この先は、CGはこっちの方で道を見つけてください……かな。
    (いかに、fleshに迫れるか……)

    「××の画面が美しかった」
    DVDなんですが、『博士の愛した数式』で、長野県の春の山河。

  • Re: 映画の光と闇

    2008/07/12 by 未登録ユーザジャン=ルーク

    > 現実の世界はモノからできていますが、映画は光と闇からできています。
    >
    > あなたの映画の光と闇とは……


     このスレの過去の私の発言の中に、

    >  まあ、同じ掲示板内で、「ネタバレ」合戦をしてても、ナンなので、

    > 「妖精写真」=『プレステージ』

    > 「映画の光」=『イリュージョン』

    というものがありますが、この『イリュージョン』は『イリュージョニスト(原題)』の誤り、邦題『幻影師アイゼンハイム』のことを言っています。

     しかしまあ、我ながら、わけのわからんことを延々と述べていたモンですな。

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